盛岡タイムス Web News 2012年 1月 1日 (日)

       

■ できることから始めよう 「SAVE IWATEの取り組み」

 未曽有の大被害をもたらした昨年3月11日の東日本大震災津波。多くの命や財産が失われ、がれきのまちに小雪が舞っていたあの日から間もなく10カ月。幾多の山を越え、新しい年を迎えた。悲しみ、苦しみ、復興への希望。人の温かさや人と人との絆の重みをかみしめた人も多いはずだ。沿岸被災地では復興の足音も聞こえ始めたが、まちに活気が戻るまでには、まだ長い時間がかかる。衣食住の緊急的な支援時期は過ぎたとしても、経済的な自立を支える地元産業の復興、継続的な心のケアなど課題は山積。被害が少なかった盛岡など内陸部に住む我々も沿岸地域の痛みを共有し、寄り添いながら、震災津波後の新しいまちづくりに参画する必要がある。行政の取り組みだけでなく一市民の心掛け、小さな働きの積み重ねが、世の中を動かすことにもつながる。盛岡地域でもさまざまな市民レベルの被災者支援活動が展開されている。たとえ、沿岸被災地に直接、出向くことができずとも、被災者に寄り添う方法はたくさんある。まず一歩、できることから始めよう。


 山田町山田の第5仮設住宅団地。昨年12月、武藤マキさん(87)宅に支援物資の冬用布団を届けた盛岡市の被災者支援チームSAVE IWATE(寺井良夫代表理事)物資部スタッフの鈴木亮平さん(27)と千村真一さん(43)は、武藤さんやこの仮設団地の区長を務める亀山保之さん(73)らと、最近の暮らしについて語り合った。

  「ここはほとんどが顔見知り。恵まれているよ」と亀山さん。SAVE IWATEが希望に応じて物資を配達してくれると聞き、団地の全20世帯に回覧板を回し、ほしい物資の一覧をまとめた。踏み台、集会所で使う鍋、湯飲み、包丁|。十分、物は手に入ったように見えても、暮らしてみれば、足りないものは、あれこれ思いつく。

  物資の希望欄には「米」との書き込みもあったが鈴木さんは「米は無理だな。被災した人の中には本当に飲み食いに困っている人もいる。そっちに回さなきゃ。皆さんは、とりあえず、ちゃんと食べていけるもんな」と穏やかな口調で話した。

  SAVE IWATEは盛岡市鉈屋町の消防団第2分団旧番屋を拠点に、震災直後から沿岸被災地への物資支援をスタート。番屋や管理運営を受託したもりおか復興支援センター内には全国から届く支援物資を陳列し、被災者が必要なものを選んで無料で持ち帰られるようにしている。沿岸被災者からも要望を聞き、数がまとまれば物資部のスタッフが2dトラックに積み込んで直接、届ける。

  この日、鈴木さんと千村さんは、朝から宮古市と山田町の被災者宅や物資配布を仲介してくれる地元協力者宅など6カ所を訪問。盛岡に戻ったのは午後9時半過ぎだった。

  「物資を届けることを通して、被災地のことを思っている、忘れていないという思いも届けることができる。物資は被災者と支援者をつなぐ貴重なツール」と寺井代表。行き過ぎた支援物資の配布は、地元経済の復興を遅らせ、被災者の生活自立を妨げるとの指摘もあるが、生活再建の道のりは個人差が大きい。公平さを優先せざるを得ない行政のセフティーネットから漏れる被災者に目を向け、柔軟に手を差し伸べるのも民間の被災者支援チームの役割と考える。物資部のスタッフも被災者との触れ合いを通して必要なニーズをくみ取り、自立に向けて段階にあった支援を組み立てることに心をくだく。

  鈴木さんは、被災者に物資を届けながら「こちらで被災者のためのイベントなどがあるときは手伝っていただけますか」と一人ひとりに尋ね、熱っぽく、これからの支援活動のあり方を説いて回った。

  「ただもらうだけでは心苦しい、後ろめたいと思っている被災者だって少なくない。自分も人のために役立っているという感覚が次の一歩につながる。ボランティアサークルでも、何でもいい。地元の人たちが前面に立って、弱い立場の人を互いに支え合えるような関係を作ってほしい。自分たちも全力で応援します」。

 鈴木さんの提案に、山田町山田の元高校教諭東海林和彦さん(67)は「まったく、その通りだ」とうなずいた。

  東海林さんは自宅1階が津波で浸水。近くの小学校での避難生活を経て、修理した自宅に戻ってきた。津波で離散した地域のコミュニティーを取り戻すべく奔走。北浜老人クラブの事務局として会員のうち69人の所在を自力でつきとめ、会報「おおすぎ」を届けている。

  鎮魂の祈りと未来への希望を込め、山田湾を美しい花で飾りたいと「花の道45号山田復興プロジェクト」も展開。沿線の地元自治会や老人クラブ、婦人会などに呼び掛け、チューリップの球根を町内の国道45号沿線3〜4`にわたって植えた。球根やプランターは全国の種苗業者や花き生産者、農業高校などが支援してくれたという。「春になったら、きっと見事な花の道ができる。希望の灯(ともしび)になります」と目を輝かせる。

  SAVE IWATEは被災者が少しずつ自立し、地元の人が中心になって互いを支え合う態勢へシフトすることを目指している。しかし、東海林さんのように、震災直後から地域で熱心に活動してきた人たちには「疲労感」も。地元ボランティアとして、中心になって活動できる人材を新たに発掘し増やしていくことが課題だ。

  一方、宮古市大通4丁目で駐車場を経営する中村学さん(55)と郷子さん(51)夫妻は在宅避難している被災者を中心に支援物資を届けている。鈴木さんたちから、オムツ、ミルクなど高齢者や乳児を抱える家庭に配る日用品を受け取った。

  中村さん夫妻は白浜地区にあった本宅が津波で流失。大通の駐車場事務所を兼ねた家に暮らす。手に入った支援物資を「困っている」と人づてに聞いた被災者に配っているが、これからの支援をどうすべきか悩んでいる。

  「親を失ったショックから立ち直れずにいる若い父親も知っている。ミルクを届けたら奥さんは涙を流して喜んでくれた。子どもは助けなきゃならないものね」と郷子さん。「でも、物資が届くのをあてにして働く意欲までなくすようでは困る。だから、奥さんには言ったの。支援物資のミルクは小出しにして、旦那さんには、働くことを考えてもらおうって」│。

  在宅避難者に比べて、豊富に物が届く仮設住宅の現状も見聞きし「仮設住宅への物資支援はもう十分では。してもらうことが当たり前になってはいけない」と率直に話す。

  家が残った人、失った人、仕事のある人、ない人、手厚い支援が届く人、そうでない人|。被災地では、こうした格差が目立ち、同じ住民間で心の溝も生まれている。被災者の置かれている状況は想像以上に複雑で個々の差が大きい。一人ひとりが前向きに生きられるよう、きめ細かに状況を見極め、寄り添う姿勢が求められる。

  SAVE IWATEでは被災者が手縫いした雑巾を1枚200円で買い、300円で売る「復興ぞうきんプロジェクト」や沿岸地域のクルミを買い取って加工する事業など被災者の経済的な自立につながる仕事作りにも取り組んできた。事業規模は小さいが、被災者がわずかでも賃金を手にし生きがいを得る意義は大きい。今後は、こうした仕事作りや心のケアに支援活動の力点を移していく。専門性や経験が求められる活動も増えるとみられ、より多くの人に得意な分野で力を貸してほしいという。

  現在、物資部スタッフの主力メンバーの一人として活躍する千村さんは宮古市重茂出身の漁業者。津波で両親を失い、地元漁場も壊滅的な被害を受けた。内陸に一時避難し、今後の身の振り方を決められずに悩んでいたとき出会ったのがSAVE IWATEだ。千村さんは「ボランティアが新たな一歩を踏み出すきっかけになった。みんなに声を掛けてもらえることはありがたいし、楽しい。生きている実感が持てる」と前を向く。

  寺井代表は「やれることは、まだまだある。そのためにも、これまで取り組んできたことも、一つひとつ検証し、掘り下げ、ステップアップしていかなければいけない。被災した方々も巻き込んで一緒になって復興へ向かっていきたい」と力を込める。

(馬場恵)

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