盛岡タイムス Web News 2012年 1月 19日 (木)

       

■ 〈大震災私記〉96 田村剛一 忘れられない味

 電気が通じたのは、自宅に戻って3日目。震災の日からちょうど1カ月ということになる。やっと闇夜の生活から解放された。

  電気が通うと“電気釜を貸します”といってわざわざ電気釜を届けてくれた人がいる。

  電気釜は、すでに新しいものを購入していたのだが、せっかくの好意、借りることにした。

  その日、震災後、初めて家で炊いたご飯での夕食。おかずは、サバの缶詰に納豆、汁はインスタントのアサリ汁。いずれも北海道の友人から送られてきた支援物資。

  その時食べた納豆のおいしかったこと、支援物資に納豆が入っていたのは、この友人一人であった。どうして納豆が入っていたのか。

  この友人は学生時代、金沢で共に過ごした仲。下宿が近かったので、よく行き来した。といっても学校に近いのは友人の下宿だったので、私が友人の所に行く方が多かった。

  この友人、私の納豆好きを承知で送ってくれたのかどうか。というのも金沢で納豆を食べたという記憶はあまりないからだ。

  その納豆のうまかったこと。納豆そのものがうまかったこともあろうが、それ以上に震災後、初めて家で炊いた夕食であったからかもしれない。

  納豆は、その後も食べることになる。金沢の友人から“何か食べたいものがあったら言ってくれ”そういう電話があった時、納豆の味が忘れられなくなり魚と納豆と告げた。

  すると、その2日後、その魚と納豆が送られてきた。魚はタイとスズキとブリ。そして納豆は黒豆納豆。黒豆納豆は初めてであった。

  三陸に住んで、魚に不自由するとは思わなかった。どんな凶作の時でも沿岸の人たちは海産物を食べ、命をつないできたと、子どもの頃から教えられてきた。その三陸で、全く魚が口に入らなかったのだ。

  金沢の友人から送られてきた魚を口にした時、魚がこんなにうまかったのかと思った。それ以上に納豆。

  大粒の黒豆納豆。こんな納豆が金沢にあったのか。不思議なことに金沢で納豆を食べた記憶は全くなかった。金沢に納豆がなかったのか、それとも下宿で納豆を出さなかったのか、それは分からない。

  ただ、今、現在、言えることは、友人から送られてきた納豆の味は、決して忘れることはないだろう。合わせて魚や納豆を送ってくれた友人たちの心づかいも。
(山田町)

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