盛岡タイムス Web News 2012年 1月 23日 (月)

       

■ 悩んで土地離れる決断、受け入れに温かさ 雫石町で移住者ら交流会

     
  震災で雫石町へ移住・避難している人たちが食事しながら懇談した交流会  
  震災で雫石町へ移住・避難している人たちが食事しながら懇談した交流会  
  東日本大震災津波で雫石町内に移住や避難している人たちを対象にした交流会(町社会福祉協議会主催)が21日、町総合福祉センターで開かれた。11世帯22人が出席。雫石牛ハンバーグやひっつみ汁など同町産食材を使用した料理を味わいながら交流を深めた。

  現在、同町には山田町、宮古市、釜石市、大船渡市、宮城県から14世帯約40人が移住や避難をしている。沿岸部の仮設住宅ができるまでの間、町内の宿泊施設で一時避難を受け入れていたことから、雫石町へ生活の拠点を移すことを決めた人、あるいは親戚などを頼って移住を決めた人など事情はさまざま。参加者の自己紹介では高齢者がいるので病院や買い物ができる場所がすぐ近くにあることを移住の理由に挙げる世帯もあった。

  山田町織笠の沼崎孝吉さん(61)、吉子さん(62)夫妻は「町を捨てていけるものではない。主人の両親も向こうに眠っている」と当初は雫石町へ移住することをかなり悩んだ。最終的に移住を決めたのは、津波の恐怖がないことだった。吉子さんは「(津波の)怖さだけはまざまざと見せつけられた。時間がたつにつれて強くなる。こっちだと水害に遭うこともない。向こうでいろいろなことを見るのがつらい」と話す。

  「向こうにいても食料などを買いに行かなければならない。車を持っていないのでそれが無理。人様に頼るわけにもいかない。お互いに何かあったときに困る」。仮設住宅での暮らしも考えたが、今後の生活のことも考慮して移住を決断。心配していた近所付き合いも「家で使えるものを持ってくるからその中から要らないものは返してくれ」と温かい言葉を掛けられ、うれしかったという。

  武田信夫さん(60)は、今回の震災で40年以上過ごした釜石市から出身地の雫石町に戻ってきた。盆や正月には地元に帰ることはあったが、同級生などから衣類や家具をもらうなど古里の温かさに改めて触れたという。

  交流会では沿岸部の魚のうまさなどで話に花が咲いた。「たまたま釜石からは私たちしかいないが、みんなそれぞれ家も何もなくして同じ境遇の人たちなので」。同じ被災者だからこそ理解できたり、話せることもあるようだ。

  町社会福祉協議会では、移住・避難者からの情報交換や交流のきっかけがほしいとの要望を受けて今回初めて交流会を開催した。今後も、定期的に食事会や町内観光などを開催し、見知らぬ土地で生活する不安解消や避難者の孤立の防止につなげていきたいと考えている。
 

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