盛岡タイムス Web News 2012年 1月 25日 (水)

       

■ 〈大震災私記〉101 田村剛一 動き出す人々3

 今回の大津波で、一番大きな被害を受けたのは漁業関係者である。魚市場や漁協施設、水産加工場は、ずたずたに破壊された。町の基幹産業である養殖施設も、全滅に近い状況。今まで、港に所狭しとつながれていた漁船、プレジャーボートもほとんど姿を消した。再起が危ぶまれるほどの被害だ。

  そんな状態なのに、4月に入っても、漁業関係者の姿が海岸に現れない。たまたま、養殖漁業を営んでいた教え子に会ったので声をかけた。

  「どうして漁師たちは海に出ないのか」

  返ってきた答えは、予期せぬものであった。

  「先生、それどころではありませんよ。私の姉とおいが行方不明です。探すのが先です」

  その言葉を聞いて、自分の言葉を恥じた。漁業者の多くが被災者である。家を失った人はもちろん、家族、肉親を失った人が多かった。海に出るどころではなかった。家族の行方を探す方が先だったのだ。

  近くに住む養殖漁業者も、消防団に入っている息子を失った。漁協役員をしている親戚の漁師も弟と義兄を失っていた。どちらも、家は全壊。そんな漁業関係者が多かった。

  また中には、家族や家や船を失い、ショックで避難所から出ることのできない人もいた。町外に避難した人もいたのだ。

  だから、海岸に出ても、人と会うことはほとんどなかった。鉄骨だけ残し、無惨な姿をさらす漁協の建物や処理場。そこを歩いていると、背筋に冷たいものが流れることしばしばであった。

  地盤沈下で水位はいつも高い。もし、間違って海に落ちたら助からないだろうと思った。助けを求めても、近くに人がいないから。それほど、人影がなかったのだ。そんな海岸に人影が見られるようになったのは、4月の中旬頃からだ。漁師の中から“そろそろ海に出て、海岸のがれき撤去や、作業小屋を片付けよう”という声が出始めたからだ。その声に、心ある漁師が賛同し、海岸に姿を現すようになった。

  その、がれき撤去の共同作業も午前中。午後は、自由時間にした。まだまだ個人で用を足す時間が必要だったからだ。

  人影はまだまだ少なかったとはいえ、人影があるとないとでは、海の活気も風景も違ってくる。人が動くことで、海が動き出したように思えてきたからだ。

  今は少ないが、必ず漁師たちは海に戻ってくる。動き出した人々の姿を見てそう思った。町の復興もそうだが、それ以上に、漁業の復興は人なり、を実感する人の動きであった。
(山田町)

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