盛岡タイムス Web News 2012年 3月 8日 (木)

       

■ 〈大震災私記〉133 田村剛一 消えた子どもたちの姿

  大津波から2カ月以上たっても、海岸には人影がない。午前中は、がれき撤去や海岸清掃をしている漁師の姿を見ることはあっても午後になると、人影が全く消える。

  海岸やその近くに人影がないのは、海岸近くに住んでいた人たちが全て家を失い、全員避難生活を送っているからだ。避難生活を送っている人たちは、避難所からなかなか出て来ない。

  私のいとこの所も津波では家が残ったものの、その後の火災で全てを失った。その焼け跡をまだ見ていないという。「見るのも嫌だし、見れば悲しくなって涙が出てきそう」という。

  大人たちがそうであるから、子どもたちはなおさらだ。通学路以外で、子どもの姿を見ることはない。私の家の前を歩いて通る子どもは、まだ見ていない。近くの保育園に車で来る子どもは別にして…。

  中学生になるめいに「海を見に行ってきたら」と声をかけてみたら、返ってきた言葉は「海は嫌い」だった。水泳が得意でよく海水浴に行っていた娘である。津波以来、海が嫌いになった子どもが増えたようだ。

  壊れた家、がれきいっぱいの道、倒れた防潮堤、巨大なコンクリートの塊…。こんな町の光景は、今でないと見られない。子どもたちにショックを与えたくないという人もいるが、現実の姿を直視させることも「生きる力をつける教育」にとって必要なことだ。これが、本当の体験教育であろう。

  震災前は「総合的学習の時間」といってノートを片手に列を組んで歩く子どもたちの姿をよく見かけた。その姿が、震災後なくなった。今でなければ、見ることのできない町の風景なのに…。

  三男の孫3人が、震災後1カ月になる前にやって来た時、この孫たちに、後片付けの手伝いをさせた。小6の孫には畳の運び役。私と2人で重い畳を運んだ。それまで、小6の孫にこんな力があるとは思わなかった。小4の孫、小1の孫娘も熱心に手伝ってくれた。知らぬ間に孫たちは成長していたのだ。

  後片付けの合い間に、海岸に連れて行った。倒れた防潮堤、海面が上昇している海、あちこちにできたくぼ地の池、巨大なコンクリートに触り「でっけい」、水のあふれそうな海水を見て「水がいっぱい」そう言って驚く孫たち。この光景を忘れないでほしいと思った。

  これから、新しい町づくりが進められて行く。いずれ、この町の主人公は、間違いなく今の子どもたち。この子どもたちに、町の現実を見せておきたい。それに、今は怖い海でも、この海を抜きにして、三陸の将来も町の発展もない。その海から子どもたちを隔離してはならない。

  海岸や町から姿を消した子どもたちを見て、そんなことを思った。
(山田町)

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