盛岡タイムス Web News 2012年 3月 11日 (日)

       

■ 〈大震災から1年〉高台への集団移転目指す 長洞元気村

     
  第6回長洞集落復興懇談会。集落の絆を守る高台移転へ向け、模索が続く  
  第6回長洞集落復興懇談会。集落の絆を守る高台移転へ向け、模索が続く  
 

「ここまで来たのか。ここまでしか来られなかったのか」。陸前高田市広田町長洞地区の仮設集落「長洞元気村」。事務局長を務める自治会副会長の村上誠二さん(55)は自問自答する。「それでも、確実に一歩一歩前に出るしかない」|。長洞地区は集落60世帯のうち、28戸が津波にのまれた。当時、家を失った人は残った同じ集落の高台の家に分宿。集落中の米や魚を分け合って食べるなど、助け合って一番つらい時期を乗り切った。仮設住宅も住民自ら地権者と交渉し集落内に用地を確保。市や県も説得し、被災した世帯が集落の中で一緒に生活できる26戸の仮設住宅団地を実現した。元気村では現在、18世帯が国の防災集団移転促進事業を活用し、同じ集落内にある高台へ、まとまって移転することを目指している。強固な絆を守ったまま、集落を再建できるか。住民の戦いは続いている。

  2日夜、元気村の集会所で開かれた第6回長洞集落復興懇談会。村上さんら事務局は、集落内の高台用地2カ所に、個人で再建する住宅や木造戸建ての災害復興住宅、公園などのコミュニティー施設を一体的に造成する住宅再建方針を提案した。「お客様ではいけない。これからも、できることは、自分たちでどんどんやっていきたい」。元気村村長の戸羽貢さん(60)は、気合いの入った声で集まった20人ほどの住民に呼び掛けた。

  復興懇談会は昨年8月から月1回のペースで開催。阪神淡路大震災の教訓をまちづくりに生かす研究をしている仮設市街地研究会(代表・濱田甚三郎首都圏総合計画研究所代表取締役)の支援で、住宅再建や漁業復興のあり方を検討してきた。

  大災害からの復興を経験した北海道の奥尻島や新潟県の旧山古志村も住民自ら視察。多くの世帯が漁業をなりわいの一部としている長洞地区の実態を踏まえ、浸水区域は漁業のための共同作業場などとして再生、被災した住宅は集落内の海の見える高台へ移転し、漁業の活性化を図りながら集落の復興を図るプランを考えた。

  同研究会の協力で、住民個々の生活設計の聞き取りや用地調査も実施。集落内に移転可能な造成用地のめどもつけた。しかし、ここで壁となっているのが、防災集団移転促進事業の事業主体となる市との考え方の違いだ。

  長洞地区では、高台移転したい18世帯のうち、経済的に住宅の自力再建が難しい高齢者世帯など5世帯が、市の整備する災害公営住宅への入居を希望している。住民たちは旧山古志村などにみられるように、木造の「戸建て」または「2世帯1戸」といった公営住宅が、自力再建される民間住宅と一緒 に、集落内の移転先へ配置されることを望んでいる。

  一方、「1000戸は災害公営住宅が必要」と見積もる市は、鉄筋コンクリート造などの集合住宅とし、広田地域は2、3カ所にまとめて建設する方針。戸建ての災害公営住宅を建てれば「集合住宅に入る人との公平性の点から問題がある」「賃貸の戸建て住宅ができれば、そちらのほうがいいという人が殺到し、仮設からの移転は進まなくなる」などと慎重だ。

  戸建ての災害公営住宅が認められなければ、集落の絆を保ったままの高台移転は難しい。長洞の住民たちは「年を重ね、自宅再建が難しい高齢者を、あんたは家が建てられないから、外の集合住宅へ行け、なんてことは絶対できない」と結束。完成した公営住宅の管理や高齢者への目配りなど「ソフト面の運営は住民自ら担う覚悟」と訴え、市に働き掛けを続ける。

  広田半島の入り江にある漁港を中心に集落が張り付く広田町では、どの地区も事情は似ている。長洞地区を含む6地区で構成する広田町高台移転協議会の佐藤武会長(68)も「漁具はマンションのような家にはおけない。住まいは、なりわいとも結びつきがある。広田全域で協力し、コミュニティーを守っていきたい」と力を込める。

  同協議会は9日、まちづくりの専門家と一緒にワークショップを実施してまとめた「広田地区復興マスタープラン」を戸羽太市長に提出。なりわいや福祉の再生の方向性とともに、集落ごとの高台移転や戸建て木造の災害公営住宅の建設についても要望した。

     
  復興が待たれる只出漁港  
 
復興が待たれる只出漁港
 


  長洞地区にとって高台移転と並ぶ、重大な課題が地元の只出漁港の復活だ。専業漁業者でなくとも、ほとんどの家がウニやアワビ、海藻類の漁業権を持つ。集落にとって漁港の復活が、地域再生のカギを握る。隣接する只出地区の住民も巻き込み、話し合いが続く。

  「長洞の60歳は、都会の60歳とは違うのす」|。世の中では60歳が定年退職。ところが、長洞では定年退職を機に、漁業に本格的に参加する人が少なくない。確かに若者は都会へ出て行くが、年を重ねると、漁業権がある実家へ戻ってくる。住民たちは簡易な加工場を活用した特産品作りや、漁村体験など人を呼べる新しい活性化事業も加え、地域を盛り上げていけないか、と夢を描く。

  震災前、只出漁港を拠点とする漁業組合員数(1世帯1組合員制)は115人。専業でなくともウニ、アワビ、海藻類の漁業権は維持するという世帯も含めると、約8割は今後も漁業を続ける意向で後継者もいる。高齢化は否めないが、それでも漁港を中心としたコミュニティーさえ、きちんと守られていれば、集落は維持されるという。仮に誰かが倒れても支え合える人間関係がまだ残っているのだ。長洞をはじめ、広田地区の住民が、集落内への戸建て災害公営住宅の建設を主張し、集落民をばらばらにしない高台移転に、こだわるのには、こうした理由もある。

  仮設市街地研究会のメンバーで漁村復興の視点で只出漁港の現状を分析した漁村計画研究所代表取締役の富田宏さんは「重要なことは待ちの姿勢から攻めの姿勢に転じること。時間のかかる公共事業を待つだけではなく、できることから、簡易的にでも取り組んでみる。故郷で頑張り、住み続けようとする人が流出しないような仮設産業振興基盤づくりがあっていい」と助言する。

     
  笑顔で集う長洞元気村の住民。広田町でのボランティアをきっかけに来村した画家の岩切章悟さん(34)=東京都=が、屋根付き倉庫の壁面に絵を描いている。「ここから、新しい日本の形が生まれるような気がする。地域の絆を守って元気村が始まった、と子どもたちに伝わる作品にしたい」  
  笑顔で集う長洞元気村の住民。広田町でのボランティアをきっかけに来村した画家の岩切章悟さん(34)=東京都=が、屋根付き倉庫の壁面に絵を描いている。「ここから、新しい日本の形が生まれるような気がする。地域の絆を守って元気村が始まった、と子どもたちに伝わる作品にしたい」
 


  長洞元気村では、昨年7月の開村以来、住民の通信手段のIT化を目指したパソコン教室、余った日用品を販売し共益費を生み出す「笑顔が集まる土曜市」などコミュニティーを活性化させる事業を次々に展開している。取り組みの様子はブログで発信。アクセス件数は1万件を超えた。

  自治会女性部の「長洞元気村なでしこ会」は今冬、スルメの一夜干しや切り干し大根など産直商品作りにも挑戦。震災前は各戸で行っていた海藻のマツモやフノリの採取、乾燥作業も今年は一緒に取り組み、なでしこ会のシールを張って包装した。「一番、変わったのは女性部かもしれない」と男性陣も舌を巻くほどの活躍ぶりだ。

  中心となって活動する村上陽子さん(62)は「製品をインターネットなどで販売し、ささやかでも収入が得られるようになればいいかな。でも、一番、大事にしたいのは人の輪。みんなで集まって、交流することに意味がある」と話す。

  住民は、この1年、「未曽有」と言われる大震災と戦い続けた。誠二さんは「ものすごく勉強させられ、行動させられ、鍛えられた。集落の絆は震災前とは比べものにならないくらい強くなり、成長している」と振り返る。「みんなで知恵を出し合い、前へ向かって進んでいる過程だからこそ、苦しくても楽しい」。

  村長の戸羽さんは「孫、子が安心して暮らせる地域を残す、その思いは変わらない。やれることを一つひとつやっていくしかない」と誓った。
(馬場恵)


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