盛岡タイムス Web News 2012年 3月 13日 (火)

       

■ 〈幸遊記〉62 照井顕 稲葉紀雄のチャールズ・ミンガス

 ジャズの巨人・チャールス・ミンガス(1922〜79)の1500nにも及ぶ私家版として友人知己に配ったという彼の自叙伝「ミンガス・負け犬の下で」を、彼と親しかったネル・キング婦人が縮小し、編集し直して刊行された本が、日本語訳で晶文社から発売されたのは73年。その本の訳者は黒田晶子・稲葉紀雄氏。二人は国際基督教大学卒。

  彼は1940年6月14日、東京生まれ。1995年米国出張中にホテルで亡くなった。当時、岩手鉱業株式会社の社長。会社は住田町の鉱山から産出される岩手金剛砂と呼ばれるガーネットを原料とする網入ガラスや、テレビのブラウン管の研磨材(パウダー)を製造。かつて国内シェア90%。世界でも40%を誇った。

  学生時代にはアマゾン川をいかだで下ったと聞いた。(株)種山ヶ原という会社を東京で立ち上げ、オーガニック輸入食品を扱い、それこそ種山ヶ原に近い蕨(わらび)峠にて緬羊の牧場も持った。

  「羊は、どの家畜よりも多種の草を食べることから植林の下刈り役に適し、フンは分解が遅いため土壌に優しい。その上、肉はアルカリ性。毛は衣服や布団にもなり、羊は衣食住をまかない、理想の未来を開く」と言った彼。

  時折、ジョニーに来店。多額の借金にあえいでいた僕を、本当に心配し「少しずつ返せばいい」と、その肩代わりもしてくれた。ミンガスの自伝本、ミンガス自身が自主制作した名盤レコード1964年の「モントレーのチャールス〓ミンガス」の復刻盤などをプレゼントしてくれた。亡き後には、ステレオや「開運橋のジョニー」にあるウッドベースさえも…。

  85年、そのミンガスのレコードがスイングジャーナルの臨時増刊・「ゴールドディスク事典」に収録される時、僕が担当することになった秋吉敏子の名盤を含む日本盤6枚。外盤4枚中の1枚として、評論を書かせてもらった。かの秋吉さん自身もミンガスオーケストラの編曲とピアノを手伝った「タウンホールコンサート」(62年)はCD化され、今に残る。

  稲葉さんはミンガスとアメリカで64年、67年に会い、71年元旦には羽田にて、彼を迎えた。自伝本はミンガス・三つの魂の叫び、1950年にトランペッター・ファッツナヴァロの死をみとるまでの経緯、軽薄さを拒絶する厳命の形を取りながら稲葉氏に伝えられた愛情なのだった。そして僕へと。
(開運橋のジョニー店主)


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