盛岡タイムス Web News 2012年 3月 29日 (木)

       

■ 〈いわて和菓子列伝〉14 大谷洋樹「羽山まんじゅう(大丸屋)」

     
  卵の黄身で照りがあり、胡桃がのる  
 
卵の黄身で照りがあり、胡桃がのる
 
  寒い今年、2月の花巻温泉は静かだった。温泉地が開発された昭和初期にぎわいをみせた往時の面影はない。昭和天皇もお泊りになった松雲閣もそのころ開業。今は建物が残されているのみだが、なお威厳のある木造建築は街の移り変わりを見てきた。

  昭和7年。盛岡中ノ橋通にあった大丸屋の出張店が温泉街に開業した。単身赴任したのが大丸屋の職人だった初代の嘉次郎だった。店に併設された居間で寝泊まりし、自炊。盛岡から材料や製品を運ぶ日々。やがてそのまま看板を掲げるのを許され、独立した。

  「花巻温泉名物をつくってほしい」。松雲閣の帳場から頼まれ、助言を得ながら作り上げたのが羽山まんじゅうだった。

  羽山という山がある。麓に羽山神社。昭和初期のころまでは蘇民祭があった。

  初めての訪問の時、店が見当たらなかった。住民に尋ねると店は閉めたからと事務所を教えてくれた。事務所を訪ねると玄関に菓子が出迎えてくれた。そして「私が店主です」と若い大坊智子さん。3代目。温泉と花巻駅を結んだ花巻電鉄が廃線となったころはまだ小さかったという。

  昨年の東日本大震災の直後、温泉客は激減。父親で2代目の栄一さんは振り返る。「数年前の県南を襲った大規模地震では風評被害から回復するのに2年かかりました。だから今回の影響はもっと大きいだろう」と考えた。廃業を決断。取引先にも通告し、温泉の商店街にあった店舗は閉めた。ホテルや旅館の茶菓子をやめホテルの土産売り場などもいったん撤退。

  だが、智子さんは続けようと主張した。「廃業を決める以前から受けた注文をこなしているうちに惜しくなりました。羽山まんじゅうで大きくなったし、やめるのが悔しかった」と智子さんは話す。

  震災以前から経営環境は厳しい。ホテルなどに出す茶菓子は宣伝と考えられ、採算度外視の過当競争。ジリ貧。「あのまま行っていたらにっちもさっちもいかなくなっていたでしょう。廃業が頭にあったからこそしがらみを断ち切れたのです」。栄一さんは言う。最近復興支援で温泉に客足が戻り、店を閉めたのは「少し早まったかな」とも思うが、身軽になった。事務所兼工場にも客が訪れる。
     
  父と娘二人で再出発。マドレーヌや季節の和菓子も提供  
 
父と娘二人で再出発。マドレーヌや季節の和菓子も提供
 

  職人はいなくなり、父と娘で切り盛りする経営は大変だが、ホテル花巻や花巻空港の売店、花巻駅前の土産店などに商品を納入している。

  温泉に饅頭はつきものだ。しかし蒸し饅頭と思うと裏切られる。羽山まんじゅうは焼き饅頭だ。品よく焼けた生地にクルミがのっている。小ぶりの饅頭。

  白餡だった。饅頭をかんでみると餡がしっとりして、存在感があった。生地からほんのりと饅頭らしい懐かしいにおい。

  「焼くと水分が減りますが、うちの餡はねっとりしています」と栄一さん。「温度が高いうちに、水分が残っているうちに練り上げるようにしています」。一般の白餡の焼き饅頭よりも砂糖の割合が高めで糖度が高い。適度にやわらかいのもそのためだろうか。それほど甘くない。

  焼き饅頭の白餡はパサパサとした感じのものもある。「あんこの水分が違います」と栄一さん。栄一さんが高校を卒業し工場に入ったころは水を加えて練っていたという。東京の製菓学校でも学んだ。夏休みなどにほかの菓子店でみた練り方と違った。「仕入れる生あんの豆の絞り加減、残った水分の具合で練りあがりが変わってきます」と智子さん。

  しかしそれは見ただけでは分からない、練ってみないと分からない。「きのうときょうと違うことがあります」。見ながら練るしかない。智子さんは店にいた職人に習った。羽山まんじゅうは15年になる。洋菓子も手掛けるので外の手助けも得ている。

  「和菓子は餡が基本」と話す栄一さん。工場にいたころはまきが燃料。「強い火だから汗をかきながらやりました」。焦がさないようにして頃合いをみて太いまきを抜いて火を落としさっと練り上げる。「まきだと温度がまだ高い。火を止めた後はあまりかき回さないこと」

  生地は黒砂糖を使う。これは変わらない。黒砂糖は白砂糖よりも精製度合が低いから雑味があり、こくがある。

  黒砂糖に水を加えて煮詰め、こして雑物を除き蜜をつくる。蜜は冷ます。生地づくりは翌日になる。水分の量や煮詰め加減が生地の出来を決める。煮詰めすぎるとかたくなってしまうし、足りないとべたべたしてしまう。雨降りや季節によって煮詰まり具合は異なり、職人の経験による勘が生きる。蜜が命。
  「父は戦後店を再開した時、戦前に使っていた黒砂糖がなく以前の味を出そうと苦労したようです」。初代がやり方を調整した味が今に引き継がれている。

  黒砂糖は一斗缶に数枚入った板状。戦後から変わらない。これをざくっ、ざくっと砕き、さらに包丁で削りとる。蜜にするのにとけやすくするためだ。栄一さんが子どものころは樽に黒砂糖が入っていて、取り出しまき割りのようにがちっ、がちっとかき出した。そのころに比べれば扱いやすくなった。

  生地にほんのり懐かしい風味があったのは黒砂糖のせいだろうか。餡と生地づくりがうまくかみあって羽山まんじゅうの味わいができあがるのだろう。

  大丸屋の「鹿餅」は盛岡のからめ餅の黒砂糖版。最初は「湯の花餅」といって出していたものに戦後黒砂糖を使ってみるといけるので売り出した。やはり蜜の煮詰め加減が餅の蒸しあがりを左右する。煮詰め加減が足りないとべたべたしてしまう。「泡の状態で蜜の煮詰まり具合を判断します。見ることです」と栄一さん。

  黒砂糖は白砂糖の倍ほどと値が張り大変だが、黒砂糖の深い味と餡づくりは大丸屋の持ち味だろうか。

  栄一さんは智子さんに店を続けると言われて、心配半分、うれしさ半分だったという。見通しは不透明だが「お前がやるなら俺も手伝う」と栄一さんは踏み出した。納入を取りやめている小売店から「また出してください」との声もあるが、「無理をせずできることから」と智子さんは焦らない。「羽山まんじゅうが店を救ってくれました」と栄一さんは言う。
  (地域ライター・大谷洋樹)

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