盛岡タイムス Web News 2012年4月 12日 (木)

       

■ 浜の技術でハンモック 山田町から盛岡市へ転入の元漁師佐々木勝正さん

     
  漁網の編み技でハンモックやバッグの制作販売を始めた山田町出身の佐々木勝正さん(左)と販促を手伝うオウルの森の中本俊彦さん(材木町のよ市で)  
  漁網の編み技でハンモックやバッグの制作販売を始めた山田町出身の佐々木勝正さん(左)と販促を手伝うオウルの森の中本俊彦さん(材木町のよ市で)
 
  山田町から盛岡市に転居した元漁師佐々木勝正さん(67)は、浜で培った漁網の編み技でハンモックやバッグの制作販売を始めている。佐々木さんは「支援を受け続けていて、このままでは駄目だなと思った。お礼の意味を込めて、お世話のなった人へ安く手軽にお届けしたい」と話している。

  漁港沿いの山田町境田町出身。県立宮古水産高校の専攻科漁業科を卒業後、東京都の日魯漁業(現ニチロ)に就職し、30代前半まで勤めた。20代後半には、モロッコのカサブランカを基地に、1年間アフリカ大陸で漁業指導に当たった。その後、地元に戻り、家業の漁船漁業とカキやホタテの養殖業に精を出し、2010年に引退した。

  3月11日、佐々木さんは自宅にいた。1階へ下りたところに津波が押し寄せ、自宅ごと波にのまれた。「三方から波が来た」。一瞬の出来事だった。津波の威力に押されながらもはい上がり、中学校に避難した。しかし火災発生。雪の降る中、靴下1枚で濡れたまま、山田高校に移動した。「翌朝、女子生徒が(500円玉大ほどの直径の)おにぎりを握ってくれた。とってもありがたかった」。妻の久美子さん(58)と合流し、5日後、がれきの中を自分の住所を探した。「家は基礎だけで、鉄の一本だけがあった」。財産は、漁網で使う糸通しのスパイキだけだった。

  3月26日、2次避難で内陸へ。気がつけば、津波の後遺症で上半身が固まっていた。治療を受けて回復した7月、内陸に残ることを決め、久美子さんと生活を立て直し始めた。

  「支援だけ受けていても駄目だなと思った。お返ししないと」と、その足でSAVE IWATE企画の復興雑巾作りに参加。そこで、盛岡市在住のボランティア田村みどりさん(51)に出会った。何気ない一言でハンモックを試作。「それが見事で」(田村さん)と好評を得て、年明けから本格的に制作を始めた。

  勝正さんの祖先は網元で、漁網は専門。高校時代は校長からの頼みで、体育祭で使う障害物競走の網を一人で仕上げた腕前。製品は、たこひもや麻に網針(あばり)をくぐしながら、丈夫なカエル又結びで編んでいく。勝正さんは「簡単にできるので、やりたい人にも教えたい。毎日仕事があることがいいこと。お金もうけではなく、材料費だけを頂いて広めていきたい」と講師も引き受ける。

  販促を手伝う田村さんは「沿岸から盛岡へ避難されている方にとって、生活の糧となる活動となるよう、継続的に力になりたい」と話す。久美子さんは「最初に始めた復興雑巾を通じて山田とは違うメンバーに出会い、助けられ、こちらで孤立しないで済んでいる」と安堵(あんど)する。

  勝正さんの原動力は、アフリカ大陸での経験。アラブ語とフランス語を必死に勉強し、漁業や漁網を教えた。そこで味わった「やりきった」という達成感が今の勝正さんを動かしている。「本当はわれわれが地元の先頭に立って復興せねばいけないと悩んだりする。まずはこれを軌道に乗せて、微力になれればと思う。いずれは浜で材料を調達したい」と話している。

  製品は、盛岡市材木町の仲間の夢のアンテナショップ「オウルの森」で常設販売している。ハンモックは小さいもので3千円から。バッグは1千円から。注文制作も受ける。詳細は町のあったかる〜む「おふくろさん」のブログ内(http://blog.goo.ne.jp/2006ohukuro)へ。オウルの森は、電話681−0608。

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