盛岡タイムス Web News 2012年4月 16日 (月)

       

■ 〈続幕末維新随想記〉6 和井内和夫 総督府参謀前山清一郎その功績(上)

 ■その功績(上)

  その一 知謀家前山の仙台入り

  東北戊辰戦争において、仙台・盛岡・秋田方面に関わった西軍関係者で有名なのは、公卿の九条鎮撫総督と同じ公卿の沢副総督と醍醐参謀、そして下参謀と称した武家参謀の薩摩藩出身の大山格之助と、同じく武家参謀である長州藩出身の世良修蔵である。

  なぜか肥前佐賀藩出身の前山清一郎はあまり知られていない。しかし、前山は東北の戊辰戦争を語る場合忘れることのできない存在である。

  東北戊辰戦争において一つの契機になったとも言われている、前出の世良修蔵暗殺事件が起きた閏4月20日以降、九条鎮撫総督と醍醐参謀は仙台藩によって事実上拘禁状態にあった。

  3月23日に仙台入りした九条鎮撫総督は、薩摩・長州・筑前などの兵約六百を率いていたが、世良修蔵暗殺事件が起きた当時は、それらの兵は沢副総督と大山参謀に率いられて庄内方面に出払っており、九条鎮撫総督と醍醐参謀の手元には武家参謀も兵もいなかったのである。

  前山は奥羽鎮撫総督府に対する応援隊として、肥前・小倉の兵約600を率いて仙台城下に入ったのは5月10日である。松島湾に着いたのが閏4月29日であるので仙台入りはそれから10日もかかっているが、それは仙台藩による妨害だったと思われる。

  仙台藩とすれば、その前の閏4月25日に、東北軍が確保していた白河城に対する西軍の攻撃が始まっており、さらにその前の同月20日には、総督府下参謀世良修蔵を暗殺していたわけで、その同類であり敵と見なされる前山隊を仙台城下に入れることはどうしても阻止したかったのであろう。

  しかし、前山は仙台藩とどのように話をつけたのかは分からないが、結局は仙台入りを果たしている。ただし、これは仙台藩に限らず東北諸藩全体について言えることである。同じ西国勢であっても、薩長両藩の兵に対するのとその他の藩の兵に対するのとでは、見方も対応も相当違っていたと言われている。つまり前山隊に対しては薩長両藩の兵に対するよりも敵対意識が少なかったということで、前山が仙台入りできたのはそのことの影響もあったと思われる。

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