盛岡タイムス Web News 2012年 5月 3日 (木)

       

■ 春又春の日記55 古水一雄 昨非録(通巻45冊)

 昨非録(通巻第四十五冊)は、9月6日から10月12日までの日記である。この日記には山陰(現茶畑一丁目)にある久保庄の別荘図が描かれている。山陰の別荘は春又春にとっては特別な場所である。なにせ春又春の生まれおちた建物なのだから。このことは以前にも書き留めたのだが、かなり前のことなので再度記すことにする。春又春が誕生したのは明治18年1月21日のことである。その前年には肴町を含む一帯が焼き尽くされ、実家の久保庄も全焼していたのである。そこで一家は山陰にあった別荘に居住を移して店の再建を図っていたのであった。それだけに自分の誕生したこの山陰の別荘は、春又春にとってはかけがえのない場所なのである。

  いつの頃からか別荘には伯母(母・徳の姉)の一家が住まうようになっていた。その伯母はすでに亡くなっていたが、息子・勇次郎(春又春にとっては従兄)が引き続き住んでいた。その勇次郎が、材木町で呉服屋を開業することになり別荘から引っ越すことになったのである。

  ほどなく別荘が空くことになっていることから春又春は一人住まいを考えたのだろう。そして記憶をたどって別荘の間取りを図に書き付けたのである。このことについては後日詳しくとりあげることにしてひとまず擱筆(かくひつ)する。
 
  さて、9月16日には春又春にとって思いもかけない2度目の悲報が入ってきたのである。
     
  「昨非録(通巻第四十五冊)」  
 
「昨非録(通巻第四十五冊)」
 
 
  下駄屋ノ娘今日死去、先日ノハ誤聞ナリ、
    八ヲ九ニ月書更フヤ秋ノ風
    死セシ人又死セシ聞ク夜長カナ
    誤聞却つて我レを泣かせし雁の声
      知ラザリキ水引ヲ手折ラントハ
    君逝キシ我レ水引ヲ手折ル頃
    水引ノ花佛ノ花ト成リニケリ
    水引ノ花忘レメヤ今日ノ日ヲ
 
  下駄屋の娘とは、春又春が恋焦がれながら悲恋に終わった“楷書の人”のことである。実は、先月亡くなった友人・佐々木君の病室に悔やみに出向いたとき、偶然にも隣室の入院患者の若い母親のことが話題に上ったのを耳にしたのだった。
 
   (8月12日)
    隣室ニ女ノ病人ガ居タト母ナ人ガ語
    リ出シタ、産後ヲイケナクナツテ入
    院シタガトウモ仕様ガナイ家ニ帰ツ
    タラ一日デモ長ク生キルダロウカラ
    トテ一昨日退院シタソーナ、
    ダンダン聞クト紺屋町ノ下駄屋ノ一
    人娘ダトイフ、ミンナウツクシイ人
    ダツタ女ラシイヤサシイ人ダツタト
    イフ、病院デモ佐々木君トコノ女ト
    ハ一番重カツタソーナ、
    モー死ヌダロウトノコトダ、若シ一
    糸強エテ結ンダツタナラバト思フタ
    ソースルト一層ノ悲ヲ重ネタデアツ
    タロウ
    何事モ命ダ、愛ノ裏ハ悲ダ、余ガ悲
    ノ裏ハヤツパリ悲ダ、
 
  隣室の女性は、どうやら産後の肥立ちが悪くて入院をしていたようだが、一向に芳しくないので産んだ子どもの側で過ごしたら1日でも長く生きながらえるのではないかと一昨日退院していったとのことである。よくよく聞いていくと紺屋町の下駄屋の一人娘だという。紛れもなく“楷書の人”である。美しくて女らしい優しさに満ちた女性だと口々にいう。しかし、病は佐々木君同様かなり重篤で、もう死んでしまっただろうともいう。もしも自分と結婚していたとしたらただの悲しみでは終わらなかったろうと、そう思い直したのであった。家に帰って母にこの噂話をすると、母達もその話をしていたところであった。昨日亡くなったそうだと母はいう。病院での話と母の言葉から春又春はすっかり“楷書の人”は亡くなったものと思い込んでいたのである。
 
  改めて“楷書の人”の悲報に接して、その悲しみを俳句に昇華させることになったのは皮肉な運命というべきだろうか。

 

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