盛岡タイムス Web News 2012年 5月 10日 (木)

       

■ 〈大震災私記〉170 田村剛一 義援金

 6月に入って、やっと前向きに頑張っていこうとする気持ちが出てきた。仮設住宅への入居が始まったり、仮設の商店街がオープンしたこともあるが、義援金の支給が始まったことが大きく影響した。

 災害義援金は、生活再建が目的の支援金で@死亡者、行方不明者見舞金50万円、A住宅損壊等見舞金で(A)全壊・全焼50万円、(B)半壊・半焼家屋25万円が支給された。

 職を失い、現金収入が途絶えていた被災者にとって、震災後初めて手にする現金であった人も多い。これで助かった人たちの中に、残った家を修理して、わが家に戻ろうとした半壊家族の人たちがいた。

 わが家も床上1・2bの浸水。家は残ったものの、家の中は無残。1階は漁具、漁網が流れ込み、がれきで足の踏み場もない。畳は泥水をかぶって、真っ黒。一番の痛手は電気系統や家電が、塩水をかぶって全く使用不能になったことだ。

 私の頭を支配したのは、早く家に戻ることであった。そのためには家の後片づけをしなければならない。息子はボランティアで毎日、公民館に出かけていたので、私と妻2人でしなければならなかった。

 泥をかぶり、塩水をたっぷり含んだ畳は重い。孫たちが手伝いに来るまでは、妻と2人でそれを片付けた。そのため、妻は腰と背中を痛め、宮古の病院に通う羽目になった。

 「家が残ってよかったですね」と言われるたびに「こんなに苦労するなら、何もかもなくなった方が楽だったかも…」と思ったこともある。

 というのも、必死になって2人で後片づけをしたものの、それだけでは家に戻ることはできなかったからだ。

 いざ家に戻ろうとしたら、ガス台は使えない、風呂もトイレも使用不能、冷蔵庫も洗濯機もだめ。1カ月近く塩水に浸かったものだから、家電製品はすべてさびてしまっていた。金をかけて付けたソーラーの湯沸かし器も使えなかった。それらはすべて買い替えなければならなかった。それらを買いそろえるのは年金生活者にはつらかった。友人や教え子から送られてきたお見舞い金で買ったのもあるが、それだけでは間に合わなかった。

 そうした中、支給された25万円の義援金は本当にありがたかった。さっそく冷蔵庫を買い求めるために宮古へ向かった。

 残念なことは、この義援金をめぐって不満が吹き出したことだ。義援金は住居が被害を受けた人には支給されたが、店や船といった生活手段を失った人には支給されなかった。

 それと、義援金を多くもらうために、半壊家屋を取り壊した人がいたことだ。家を取り壊すと、全壊扱いになったからだ。この義援金、もらった人にとってはありがたかったが、公平であったかどうか、検証の必要がある。(山田町在住)


 

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします