盛岡タイムス Web News 2012年 7月 17日 (火)

       

■  〈いわて和菓子列伝〉17 平泉駄菓子(こがねや) 硬めの風味に古都の夢

     
   体を使った菓子作りをする小野寺啓造さん  
   体を使った菓子作りをする小野寺啓造さん
 

 JR平泉駅からすぐ、無量光院跡につづく道の入り口にたたずむこがねや。昭和の建築を彷彿とさせる店に入ると正面に洋菓子、左に和菓子、右に駄菓子。駄菓子の入ったガラスケースは昭和の残り香があるようだ。

  2代目の小野寺啓造さんは練る作業など機械を使わない。昔ながらの道具を使った手作りが基本。最初に聞いたこだわりが乾燥に木炭を使うことだった。ただ昔ながらというのではなく、その意味もきちんとあった。

  「じかにあたためるのではなく、熱を回す感じです」。灰をかぶせて火が直接あたらないようじわりと加熱する。これが木炭のよさだ。木炭も値段により違いがある。それなりの値段のするものは火にやわらかさがある。

  菓子を入れた容器を積み重ね、均等に熱が回るよう上下を入れ替えながら最低2時間を費やす。乾燥具合が足りなければもう一回。

  「みじんぼう」という聞きなれないものを買ってみた。茶色。表面に玉砂糖の蜜をかけているためだった。歯ごたえがある。玉砂糖の風味とともに素朴な米の香りが広がった。

  上新粉と白砂糖の蜜を練り合わせる。上新粉は割高でもいい材料を使う。「落雁の粉よりも粒が粗いものです」。群馬県の粉をわざわざ入手している。蜜をよく吸い、分量多く作れる。こしも違うという。

  砂糖蜜と粉をもみ、押して固める。ねじった形にしてある。手でねじると固まらないので布でおさえてねじる。

  「うーん、結構硬い」。「豆糖」の最初の印象だ。手で割るのに力を少し込めた。いまどき珍しいほどの硬さだ。やわになったあごが鍛えられそうだ。

  「豆糖」は「豆板」などとも呼ばれる駄菓子の定番。こがねやでは中双糖の蜜をピーナッツにからめ、煮つめてあめ状になったものをすくって、ブリキ板などの板に流してつくる。

     
  真ん中は豆糖、手前から時計回りに面打、梅ぼし玉、みじんぼう  
  真ん中は豆糖、手前から時計回りに面打、梅ぼし玉、みじんぼう  


  「豆糖は飴(あめ)くらい硬いのです」。道理で硬いわけだ。

  硬さは蜜の温度と密接に関係する。駄菓子は水あめと砂糖、水でつくった蜜が基本の材料だ。加熱した蜜と材料を合わせる。豆糖は駄菓子の中では一番といってよいくらい温度が高い蜜を使う。

  その温度加減を啓造さんは素手で判断するのだ。指で蜜の糸の引き具合をみる。「固まるか固まらないかくらいの感じです」

  習い始めのころやけどした。しかし今では皮膚が慣れてしまったのかそうしたこともないようだ。とはいってもさすがに温度が高い飴はへらを使って加減をみている。

  温度計は使わない。「手でみる方が早い」

  「蜜の温度は商品によって違います」。その違いを自分の目と感触で確かめる。職人の技だ。

  飴はかじって、歯ごたえで出来を確認したものだが、「もう歳で歯が弱ってかじるのもなかなかできません」と苦笑い。「秋田の飴屋をテレビで見たときもかじって確かめていましたね」。五感を働かせて加減をみるということだろう。

  先代のお父さんは一関の菓子店で修業し、昭和16年に開業した。当初は飴や駄菓子だけつくっていた。卸をして花泉などに配達に回ったという。今のように賞味期限などうるさくなかった。「たくさんつくり、ひと月やふた月は大丈夫だよ、といった調子で売り歩きました」。火を通すものばかりだからある程度日持ちする。そして硬い。

  ただあんこを使うものは水分が多い。「めがね」と呼んだものをかつてつくっていた。あんこを硬めに練り、のして短冊形に切り、土管のように空洞になるよう丸める。砂糖をからめた菓子だ。こうした生に近いものも作りたいと考えているが、日持ちしないのが難点だ。

  経営と菓子作りを調和させる道は平たんではない。それでも先代から習い、受け継いだ技が道具とともに今に生きている。
(地域ライター・大谷洋樹)


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