盛岡タイムス Web News 2012年 8月 15日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉294「ゼロ戦闘機」伊藤幸子

 特攻機飛びたち征きし滑走路狭くみじかし夏草のなか
                                  中島央子
                       「角川現代短歌集成」より。

  平成18年発刊よりすでに100万部突破の百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」を読んだ。「僕は号泣するのを懸命に歯を喰いしばってこらえた。が、ダメだった」と、故児玉清さんの解説にあるように、本当に魂を揺さぶられ、泣いた。戦後67年、茫々の歳月を隔ててなお、ページを繰れば戦闘機の轟音が聞こえる。

  太平洋戦争初期の零戦の威力は圧倒的だった。「ゼロファイターは本当に恐ろしかった。信じられないほど素早く、その動きはこちらが予測出来ないものだった。まさに鬼火、そしてゼロとは空戦をしてはならないという命令が下った」と、戦後何人もの連合軍パイロット達が語ったという。そこには飛行中に任務遂行をやめて避退してよい場合として一、雷雨に遭遇したとき。二、ゼロに遭遇したとき、と記されてあったとのこと。

  なぜ「零戦」と呼ばれたか。零戦が正式採用になった皇紀2600年(昭和15年)の末尾のゼロをつけた新鋭戦闘機だったからで、正式名称は「三菱零式艦上戦闘機」である。これはすばらしい飛行機で、旋回と宙返り能力がずばぬけていてスピードが出せた。しかも航続距離が桁(けた)はずれで、三千キロを楽々と飛んだ。当時の単座戦闘機の航続距離はせいぜい数百キロだったから、日本は世界最高水準の戦闘機を作り上げたことになる。

  この小説の主人公、宮部久蔵は大正8年東京生まれ、昭和9年海軍入隊、16年空母に乗り真珠湾攻撃。その後は南方を転々とし、終戦の数日前に神風特別攻撃隊員として戦死。昭和16年に結婚翌年女児を得るも、ほとんどを戦地ですごし妻子との団欒(だんらん)もなく特攻機に乗る日がきた。大隅半島のまんなかに位置する海軍鹿屋基地から出撃の朝、奇妙なことが起きた。

  宮部少尉は飛行機を換えてほしいと申し出る。宮部の飛行機は零戦五二型、相手の予備士官のは旧式の二一型。「特攻は十死零生」の作戦、それでも部下に性能の良い方の飛行機を与えようと思ったものか。

  ところがこの五二型はエンジン不調で喜界島に不時着し、部下はただ一人生き残った。大石賢一郎少尉23歳、早稲田大学生。大どんでん返しで戦後宮部未亡人と結婚。その孫姉弟が実の祖父を知りたいと、宮部の戦友達からの聞き書き形式で成った本である。運命のふしぎさ、死ぬための訓練ばかりの「永遠の零」が切ない。
(八幡平市、歌人)



本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします