盛岡タイムス Web News 2012年 9月 5日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉297 伊藤幸子 絵巻の人々

 露しげきむぐらの宿にいにしへの秋にかはらぬ虫のこゑかな  源氏物語
 
  平成20年の「芸術新潮」2月号にて「源氏物語千年紀記念特集・国宝源氏物語絵巻全56面」の一挙掲載があった。紫式部の時代から百年後のころに制作されたこの現存最古の源氏絵は「天皇になれなかった皇子の物語」として話題をよんだ。

  私の年中行事、たえがたい残暑とわずかに暮れ方の空の高みに澄んだ秋雲のひとひらを見る時間帯に、ひそかに魂を揺さぶられる数冊の本をひきよせる。ことしは、びっしりと活字の組み込まれたハードカバーではなく、大きな紙面の豪華な絵柄がワッと目にとびこんでくるこの源氏絵巻に没頭した。

  なかでも柏木一、二、三の絵巻。「一」の場面は中央に光源氏の正妻女三の宮が産後日が浅く、口元を袖で被い臥している。その枕元には父朱雀院(太上天皇・光源氏の兄)が沈痛な面持(おももち)で坐られ、大きい数珠が膝に流れる。何かハッと驚くさまに数珠がはらりとこぼれたようだ。それもそのはず、女三の宮は「をとこ君生まれ給ひぬ」とあるすぐのちに朱雀院に「かくおはしまいたるついでに、尼になさせ給ひてよ」と願い出る。なんということ、源氏の君は「これまでにも出家を口にされたがそれは物怪(もののけ)のしわざとなん」思っていたと話される。しかし、今、眼前のみどりごは自分の子ではなく、柏木との不義の子ゆえに出家を強く望む女三の宮であり、背信と怨みの渦巻くなんともいえない六条院の人物俯瞰(ふかん)図である。

  「柏木二」は、密通を源氏の君に知られたことにより、柏木は強く追いつめられて死の病いにとりつかれる。臥している柏木も、見舞いの夕霧も黒い烏帽子をかぶっているのが異様に映る。いまわのきわで何を語り合っているのか。遺してゆく妻落葉の君を頼むと言い、光源氏に申しわけないことをしたとくり返すのを聞き、夕霧は、女三の宮の生んだ薫君はもしや柏木の子かと疑う。その場面の、柏木の掛け布団のような着物の袖口が鋭い紅色で目を貫く。

  私はでも、続く「横笛」の絵柄が好き。夕霧と妻雲居雁(くもゐのかり)の子育て奮闘記。子だくさんの妻が豊満な胸を開け授乳のシーン。つぶつぶと肥えたる肌まで透けて健康な女人像。ところが深夜急に「つだみ(嘔吐)」をして苦しがる乳児。夫が夜遊びをして部屋の戸をしめ忘れたため、そこから悪霊が入りこんで赤児をおどしたとつめよる妻。たしかに部屋の戸が少し開いている。霊も涼も自由に出入りして、短い夏の夜が更けていく。
    (八幡平市、歌人)


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