盛岡タイムス Web News 2012年 10月 1日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉91 照井顕 山崎俊之の真夜中を教えて

 「先日お話ししたCDを進呈します。ボーカルは赤崎町(大船渡)出身。ピアノは私の甥(宮古出身)です」。そう走り書きしたメモを添えてCDを贈ってくれたのは、当時、岩手県大船渡振興局長だった岩切潤氏、1991年秋のことでした。タイトルは「THE・THANKS」。僕はそれを、当時DJを担当していたFM岩手のジャズ番組で放送した。

  それから3年後の94年。そのCDのピアニスト・山崎俊之さんが、盛岡から陸前高田へやって来て、2枚目のCDを出すことになったので、そのライナー・ノーツを僕に書いてほしいと言った。

  話を聞けば、彼は宮古高校1年生の時に、地元にあったジャズ喫茶「美学」で、宮古出身のピアニスト・故本田竹曠さんが弾いた「浜辺の歌(成田為三作曲)」に大感激し、ジャズコード(和音)を教わり、その場で、彼に譜面まで書いてもらったという。

  そこから、山崎さんはジャズにはまり、坂元輝の教則本を買い、ジャズピアノの勉強をした。1981年、僕が陸前高田で制作した坂元輝のLP「海を見ていたジョニー」(五木寛之の同名小説にちなむ)を知り、宮古から自転車に乗り、途中のジャズ喫茶に寄りながら、僕の店、陸前高田のジョニーまでそのレコードを買いに来たのでした。これも感動!

  そんなこともあって、僕が盛岡へ店を出して間もなくの2001年6月17日、彼は彼なりに「海を見ていたジョニー・ストーリー」のライブを考え、開店したばかりの開運橋「ジョニー」で開いてくれた。それは、山崎さんらしい歓迎の仕方。僕は、とてもうれしく思ったものでした。

  僕が、平泉中学校から高田高校へ入学した1963(昭和38)年。4月29日(昭和天皇の誕生日)に山崎さんは宮古で生まれた。彼は、宮古高校から日大芸術学部の作曲科へと進んだ。理由は「映画音楽を作りたかったから」だそうだが、2枚目のCDに入っている「舞踏会が始まる前に」は、映画「口紅」に使われた。自ら脚本を書いた2006年の自主制作「真夜中を数えて」にはピアニストで登場。この映画(DVD作品)は、彼がピアニストとして25年間務めている、盛岡大通「にっか亭」の制作。サントリーのような「山崎」さんが、ニッカのような店「にっか亭」で日課として、ピアノを弾いている。それも、おシャレ!
(開運橋のジョニー店主)


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