盛岡タイムス Web News 2012年 11月 1日 (木)

       

■  〈日本人のカナダ移住物語〉27 菊池孝育 吉田愼也3

 スティブストンで吉田愼也を知る人たちに彼の人柄を尋ねると、愼也は寡黙で読書家であったと異口同音に答える。確かに読書家であり、蔵書家でもあった。第二次大戦勃発直後、愼也も敵性国民として抑留されたが、その時大量の蔵書のほとんどを親しい日系二世たちに分かち与えた。スティブストンの岸家では今でも家宝のように何十冊か保存している。筆者が調査に訪れたとき、どういう種類の本なのか、尋ねられた。三世、四世は日本語が読めないのである。歴史、科学、政治、経済書などの固い本から小説、落語などの娯楽系まで、愼也の読書範囲は広かったようだ。中には、好事家以外には説明に窮する類いの本もあったことを覚えている。

  英文の本ではハウツーものが多く、ピアノの弾き方や芝の育て方などに交じって、確かガソリン・エンジンのメカに関する本もあった。その本から営繕、修理の方法を学んで実践していたものであろう。愼也は河口でのんびりと読書を楽しみながら、故障で流れてくる漁船を待っていたようだ。苦手な漁撈(ぎょろう)よりもはるかに収入があって、おまけに日系を含む地元漁師の尊敬を勝ち得たのである。

  当時のスティブストンの漁師はすべて政府の発行する「漁撈ライセンス」が必要であった。ライセンス取得の条件はカナダ市民であることとされた。従ってスティブストンでは、日本人のほとんどがカナダ市民権を取得していた。実際は日本との二重国籍が多かったが、立派なカナダ市民であった。日系と表記したゆえんである。

  「一九二七(昭和二)年ころ自宅をスティブストンのモンクトン街とナンバスの角に、五エーカーの土地を購入して新築されたが、その当時二千五百ドルのハウスにウオル・ソウオルのラグを敷きつめ、ピアノやダイニング・ルームのセットなども揃えてあったのは吉田さんの家だけだった。自家用車もダッジの大型車を乗り回しておられた。付近の人々は吉田さんのハウスを吉田御殿≠ニ呼んでいた。同家は今でも相当立派な住宅として残っている」

  吉田御殿は現在(1993年時)、カナダ人某弁護士一家の住宅となっている。かつて郷古潔(三菱重工社長などを歴任)がカナダを訪れたとき、吉田御殿を宿舎とした。愼也と郷古は水沢で小学校の同級であった。その他では堂面豊信(後に味の素社長)がシアトル支店長時代、足しげく吉田御殿を訪れた。帝国海軍練習艦隊がバンクーバーを訪問するたびに、幹部の宿舎は吉田御殿であった。その中に米内光政のおいも含まれていた。米内光政と愼也は郷古潔と斎藤實を通じて、二重の知己となっていた。

  当時、バンクーバーの日本人社会で、大型自家用車を乗り回していたのは、バンクーバー総領事と田村新吉、それに吉田愼也の三人だけだったといわれる。スティブストンの日系社会の若者たちが事あるごとに吉田御殿に集まった。彼らは自家用車の運転を買って出るので、愼也は専属の運転手を雇う必要などなかったのである。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします