盛岡タイムス Web News 2012年 11月 28日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉309 伊藤幸子 月の輪草子

 夜をこめてとりのそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ
                                   清少納言

  今年から11月1日が法制的に「古典の日」と決定された。寛弘5年9月11日、中宮彰子ご出産、11月1日は敦成親王誕生五十日のお祝いが盛大に催された。行事もたけたところに「左衛門の督(かみ)、『あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ』とうかがひ給ふ」との記述が「紫式部日記」に出ていることからこの日に決定されたという。2008年には源氏物語千年紀の話題も多かった。

  その11月1日、卒寿の作家の渾身(こんしん)の書下ろし小説が発刊された。瀬戸内寂聴さんの永遠の清少納言「月の輪草子」である。真紅を基調に黒髪と烏帽子と蔀(しとみ)の一部が金色の月の輪に浮かび上る意匠のあでやかさ。見開きも真紅、カバーの下の表紙には紅に白抜きの図案。カバーがちょっとずれるとエナメル様の本体が「出(い)だし衣(ぎぬ)」のように見えかくれする。私は読む前に、もう動悸(どうき)し始めていた。

  歴史の長い流れの中には、世代の交替する潮目というものがあるようだ。清少納言たちの生きた世でいえば、一条天皇の御代であっても定子中宮から彰子女御へと微妙に移ろうものの影が見える。「高級貴族の兄弟は必ずといっていいほど仲が悪い」との作中清少納言の感想はそのまま世相を反映。「誰もが自分の娘を後宮に入れ、今上帝の寵(ちょう)を受けお種を宿し、皇子を産み、その皇子を一日も早く東宮に立て、やがて帝位につける」というコースが高級貴族達の生きる願望であった。

  藤原兼家の四人の息子達を見てもあまりにも欲と権勢と出世レースのすさまじさに目を覆いたくなる。道隆、道綱、道兼、道長の立派な兄弟が、関白道隆の病気以来衰亡の坂を辿る。道隆逝去後、その弟道兼もまた七日病んで他界。こんなにも次々と人が死んでゆく日常を嘆く間もなく末子の道長のところに関白職が吸われていった。

  幸福も不幸も、なぜかこの世には束になって訪れると語る清少納言。思えば一条天皇11歳、定子15歳で入内。清少納言は28歳から10歳下の中宮に仕えてきた。しかし宮は3人目の出産直後、25年の生を終えられた。やがて後宮は彰子中宮の時代へと移ってゆく。

  あるじ亡き後の長い生涯に清少納言は「私が九十…とな。あの世とやらで、今更誰に逢いたいとも思わない。生も死も、一度きりですましたい」と呟いて擱筆(かくひつ)。清少納言もできなかった寂聴師珠玉の金字塔に感銘した。
(八幡平市、歌人)


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