盛岡タイムス Web News 2013年  1月  23日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉156 三浦勲夫 寒中

 成人の日までの3連休だった。冷え込みは相変わらず続いたが連休最終日に西日本、関東、東北の太平洋側で雪が降った。風も強かった。東北地方では驚かないが、西日本や関東、東京では交通事故やけが人が多く出て、交通機関も空、陸ともにストップした。岩手では乾いた雪が降ったが、風はさほどではなかった。

  寒さも慣れれば驚かないが、やはり暖かい方がいい。お年寄りや病人にはこたえる。しかし冬は春への備えでもある。軒端に垂れるつららが徐々に太く長くなるのを見ると、石鳥谷の葛丸川渓谷にある「たろし」を思い出す。毎年その時期になると放送される「たろし」はつららを意味する「たるひ」(垂氷)がなまった言葉だという。2月11日にその太さを測り、太ければ豊作、細ければ不作になると予測する。再生のシンボルである。

  葛丸川に沢水が注ぐ滝が冬季間に凍り、氷柱の高さは13bに達し、その周囲の最高記録は昭和53(1978)年の8bとある。その年は予想通りの大豊作だったという。今年はどれぐらいになるだろう。滝も凍り、湖も凍り、オホーツク海も凍る。生ある動植物の一生は一度きりだが、死後には子孫を残す。冬で万物が枯渇することはない。凍る滝を詠んだ句がある。「終章はかがやけと滝凍るなり」(倉橋羊村)。季節の終章である冬。滝はきらきらと凍るが、やがてまた解けて、光る水となり、春を生みだすようだ。それが生の循環を思わせる。

  2月11日に「たろし」の大きさ(周囲)を測定するわけだが、その日は岩手では厳寒の最中である。しかし暦の上では2月4日といえば立春で、11日ならばすでに春である。とはいっても、旧暦の2月4日は現行歴であればだいたい1カ月後の3月初めに当たる。それであれば「立春」というのもうなずける。

  実はこの3連休の最終日、自分は近くのコンビニに歩いて行って、5枚の原稿をコピーする用事があった。そして最後の5枚目の原稿を回収することは忘れなかったが、コピーした紙をコピー機から取り出すのを忘れた。家に帰る途中で気が付き、コンビニに戻ると、すでに店員さんが保管してくれていた。丁重に礼を言って、店を出た。

  忘れることが多い。外出する前など必ず持ち物を確認するが、つい面倒な気がすると「大丈夫」と思い込み、実は忘れている。年のせいだろう。確認しても中途半端で、元の原稿は回収したが、コピーの方は回収しなかった。そのように考えながらゆっくり小走りで帰った。小走りすることで年を取り戻したいという潜在欲求があるらしい。

  太陽暦は太陰暦よりもだいたい1カ月早く時が進む。その太陽暦ではあと10日あまりすると立春(2月4日)となる。しかし古い暦の春はまだ一月待たねばならない。新しい暦の1月は冬至の10日後に始まる。「一陽来復」で昼が長くなる。この感覚ならピンとくる。まだ寒さは続くが日光が明るくなる。冷たい光の季節である。「玄冬」(げんとう)の黒い冬、光のない冬から徐々に明るくなる。「終章はかがやけと滝凍るなり」。凍った滝はぞっとする光を放つが、背景には大気の光がある。今はその時節である。「春は名のみの風の寒さ」ではあるが光は春のものだ。やがて暖かさも戻ってくる。
   (岩手大学名誉教授)
 


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