盛岡タイムス Web News 2013年  3月 4日 (月)

       

■  〈新・三陸物語〉1 金野静一 高田松原1

     
   
     

 高田松原は、岩手の東南部「陸前高田市」に位置し、広田湾の奥部約3`にわたって展開する砂浜であった。

  この砂浜は「立神(たちがみ)浜」と呼ばれ、陸地にある田畑は、文字通りの不毛の地であった。潮風が絶えず砂塵(じん)を後背地に吹き付けるため、耕地は埋没し、荒れ果てて時には、収穫皆無になることも珍しくなかった。

  「砂浜の後ろには、岬(みさき)神とも言われる凶神がはびこっていて、浜の実りも陸の実りもみな食いつぶしてしまうのだ…」

  近くの老人たちは、一様にこんなことを語っては、ひたすらに氷上山上の守護神のお守りを祈願していたのだ。

  ―高田松原は、文字通りの「長汀一里」にも及ぶ砂浜を基に、「林相美麗」なる黒松に囲まれ、碧瑠璃の海水と相まって、まさに夢幻的絶景をなしていた。松原の松原たるゆえんは、その松にあることは言うまでもないが、まれに見る美麗さを称えられる松原の植林事業の創始者や、そのいきさつを述べる前に、これと関連深い浜辺の地勢・地形・地名などに触れて、その全容を知ることとしたい―

  気仙川によって河口に近い高田平野ができた。これは典型的な「三角州」である。この低い平野に市内随一の広さを持つ田畑地帯が形成されたのである。

  高田と気仙両町に誇る、市内一の広さを持つ水田地帯であるが、この低い土地の呼称が、なにゆえに高い田=i高田)という地名になったのであろうか。

  もとはと言えば、高田という地名の発祥は、高地の「上野(わの)」であった。旧高田町内を流れる和野川の流水を利用して水田が作られ、そこに郷社「水上神社」の神田ができたのである。「上野の神田」こそ、高田という地名の起源である。

  奥州気仙郡氷上山神碑には、「氷上山麓号高田者、古進田之地也」、そして「気仙風土草」には、「高田。是神田也。上野にあり。村名この田にもとづくと言えり」とある。

  前者(山碑銘)の進田は、神田であり、圭田の地であったことを記している。

  その高田には大町、荒町など軒並みに店舗があったが、荒町の東に「川原」という小字があり、その名とは異なるような店舗、住宅街となり、川原という地名は、むしろ奇異にさえ感じられていた。

  だが、この地名こそ気仙川の流路の変遷を示す地名であり、松原海岸の形成にとっても大なる関連を有する土地格であった。古老の言によれば、かつての気仙川は誂石(あつらいし)・矢作・今泉・竹駒・高田の境界付近に誇る古い地名から中川原、大石沖を通って三本松、さらに町裏を通って、裏田から川原を経て松原へ出たという。

  高田の平地は、気仙川によってつくられた三角州であり、誂石を頂点として出水のたびに右・左に流れを変え、それによって「河跡湖」風の沼が広さと所を異にしながら、つくられていった。   (毎週月曜掲載)

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  本連載は東海新報、胆江日日新聞、復興釜石新聞にも掲載されます。


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