盛岡タイムス Web News 2013年  3月 6日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉323 伊藤幸子 天河伝説

 あさぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪
                              坂上是則

 2月下旬、テレビで浅見光彦シリーズ「天河(てんかわ)伝説殺人事件」を見た。内田康夫作品は百編以上手元にあり、「後鳥羽伝説」「平家伝説」隠岐、戸隠、高千穂伝説等々歴史上の名場面をたぐりながら、現代人のひき起こす多様な事件簿を読んできた。中でも私は、奈良吉野の奥の天河の地をめぐる能の家の物語にひきつけられ、何度読み返したかしれない。

  テレビでは今回から光彦役が速水もこみちになり、前任の沢村一樹同様すらりと背の高い好青年。ファミリーは母親を佐久間良子、警察庁刑事局長の兄は風間杜夫である。季節的には晩秋で、吉野の山容に桜は見えない。本を読みながら、ぜひ見たいと思っていたのが天河神社の五十鈴(いすず)と由緒ある能面だった。

  東京新宿の高層ビルの前で、事件は起きた。階段を一歩踏み出したところで、男は不意に胸をおさえて立ちどまり、人波の底に沈んだ。その時、男の手にあった桐の箱が投げだされ、リリーン、リリーンと転がる物体。それは「親指と人さし指、中指の三本で三つの鈴の間を結ぶやや湾曲したブリッジの部分をつかむとしっくりと手の中になじむ。手をほんのわずか動かすだけで、鈴は玄妙な音を出す」と表現。読む側にはすっきり形状が見えないが、これが天河神社のご神体の五十鈴だという。

  画面より私の憧れの地、吉野の風景の中に神韻渺茫(しんいんびょうぼう)の天河神社の「気」が伺える。いにしえからの神々の領域の中に、俗悪な衆生(しゅじょう)の思わくがからむ。吉野は能謡史蹟の宝庫だ。

  さて本日は能、水上流宗家水上和春の七回忌追善能が行われる。渋谷南平台の能楽堂で、和鷹は祖父和憲に「道成寺」を演ずるに当たり「雨降らしの面」着用を許された。室町時代の作といわれる恐ろしい大蛇の面。古来これを用いると雨が降ると聞かされているものだ。

  これも今回テレビで見ることができた。もちろんフィクションだけれど、角を持ち、蛇体の証拠とされる舌のある面を、原作を片手に食い入るように見入った。五十鈴も面も、小説では不明の部分が視覚でとらえられた。もしその面の裏側に、即効性の強い毒物が塗られていたとしたら│確実で緻密な人間の罠(わな)。

  筋書きは「道成寺」の舞台上で釣鐘を上げてみると、御曹司はつんのめるように息絶えていた。客の誰もが、かつての父のように心臓発作かと想像した。しかし「雨降らしの面」は演者だけを残して、いずこともなく消えていた…。
     (八幡平市、歌人)


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