盛岡タイムス Web News 2013年  3月 20日 (水)

       

■ 〈日々つれづれ〉163 三浦勲夫 デジタルとアナログ

 人工頭脳でできたロボットは、プログラムに従って一定の働きを行うデジタル疑似人間である。一定の働きといっても単純作業を疲れも知らずに行う産業用ロボットもあれば、チェスや将棋や囲碁で名人を負かす、ほとんど無限の応用力を駆使する精巧なロボットもある。翻訳プログラムも精巧になっているようだ。「バイリンガル眼鏡」という機械が作られている。眼鏡をかければ相手が話す外国語を日本語に翻訳し、文字化して、目の網膜にそれを映す。その眼鏡をかけた人は、相手の顔を見ながら相手の言葉を理解する。相手もその眼鏡をかければ、こちらが言う日本語を理解できるというのだ。

  どの程度正確に翻訳するかは分からないが、もし完成すれば政治や貿易などの交渉現場に通訳者を介在させずに済み、機密漏えいが防げる。しかし現在の段階では、翻訳機能より先に、別の機能を眼鏡着用者に与えているそうだ。買い物に来た顧客の過去の購買歴などが販売員に与えられ、すぐれた接客情報として活用される。情報の収集と保存と記憶が人間の記憶容量を超えて機械が代行してくれるから驚異だ。

  しかしここで、筆者などデジタル技術に弱い者は思う。せっかくのデジタル機械を使いこなせない。日常行うことはせいぜいブログをアップデートし、ワープロ・ソフトで文書を作り、保管し、メールのやり取りをする。サーチ・エンジンで情報を探る。それぐらいである。それだけでもこの年齢では並みな方かもしれない。「不得意領域は、恐れずに、毛嫌いせずに、やるしかない」。そう毎日考えている。焦らない。デジタルだからといって、常に右から左へ、瞬時にことが運ぶわけではない。方法を習得するには時間がかかる。失敗して、繰り返して、結果を待つほかない、と構えている。

  その点、アナログ製品は使いやすかった。レコード、録音テープ、時計、ラジオ、カメラ、テレビ、洗濯機。きめは多少粗くとも、どこか「人間らしい」ところがあった。戦後の「文化生活」や「電化生活」を支えてきた。今はアナログの機能を人工頭脳が奪い、高次化し、細密化した。現代は幼児のころからデジタルのゲーム機に親しむ。

  辞書でも電子辞書が横行する。語意も迅速に検索できる。熟語や用例も整然と整理されている。発音も聞ける。至れり尽くせりだ。自分が語意を忘れても、電子辞書はいつまでも、完全に、何から何まで記憶していてくれる。いきおい、語意を記憶しようとする使用者の意欲は弱まる。何度忘れても、その都度電子辞書はすぐに教えてくれる。軽量、小型で便利に持ち運びできる。しかし、利点には欠点も潜む。

  かつては「何事三度」とか「三度目の正直」と言った。外国語習得面では、ある単語を一度辞書で引き、それをやがて忘れる。またその単語に出合って辞書を引く。「一度お目にかかった単語ではないか!」と自戒して、二度目の記憶焼き直しをする。三度目に出合うときには「既知の単語」となっている。このようなことが外国語学習だけでなく、あらゆる場面で繰り返され記憶力が鍛えられた。三度目もだめなら何度も繰り返した。アナログ製品には人間くささがあった。デジタル製品はどうか? 超便利だが、使いこなすためには「何事三度」どころか「何事何度」でも繰り返す根気が要るようだ。
(岩手大学名誉教授)


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