盛岡タイムス Web News 2013年  3月 25日 (月)

       

■  〈幸遊記〉116 照井顕 土井一郎のプレリュードとフーガ

 僕が陸前高田で「ジョニー」という名の音楽喫茶を開いた翌年の1976年5月21日陸前高田市民会館大ホールでヴァージンジャズと題して初コンサートを主催した。バンドは東京からの「山口真文(ts)カルテット」。その時のピアニストが土井一郎(当時24、現61)であった。

  「幼少からピアノを習い高卒と同時にプロ生活に入り、よくピアノが弾けたことから大阪の先輩バンドマンたちには随分いびられた!」。そのことから大阪教育大・特音作曲科で学び卒業。上京すると「東京の方が自分に合ってる」とすぐに思ったという。以来、大阪には絶対近寄らないで来たのだとも。

  新宿のクラブで弾いていた時、ゲストで吹きに来た、故松本英彦(ts)に認められてバンドに誘われ、以降、山口真文、ジョージ大塚(ds)、鈴木勲(b)、小宅珠実(fl)らそれぞれのグループで活躍ののち独立。自己グループ「ミリオンパラ」を結成し、クラウンレコードから8枚のリーダーアルバムを発表した。

  その間に何度か陸前高田にも演奏に来てくれて、おしゃれな彼らしく、いつぞやは、僕にも花柄のカッコイイシャツをお土産に買ってきてくれた。僕はよくそれを自分のステージで着たものでした。盛岡へ移ってからは、全ての経費を自分で負担し、東京からバンドを連れて来てジョニーで演奏をプレゼントしてくれもした。

  あれからもうすでに10年。僕は久しぶりに彼に電話をし、店を移転したことを伝え、ピアノソロとジョニーで育ったボーカル・金本麻里の歌伴と二つ引き受けてもらい、この2013年3月20日に、それは実現した。久しぶりに聴く彼の生演奏の音に心奪われ、思わずジーンとなった。ありがとう。

  日本でも人気の高かったピアニスト、ビル・エヴァンス(1929〜80)に憧れ、朝から晩まで聴いてはコピーしまくった学生時代の1973年1月、エヴァンス初来日の時、最前列で聴き何もかもが解からなかったほどのレベルの違いにものすごいショックを受け、以来むちゃくちゃ練習し今日まで来て、ついにはショスタコビッチの作曲時間にヒントを得て、24のプレリュードとフーガを作曲し楽譜(カワイ出版)と自演の2枚組みCD(スタジオソングス)を発表してしまった、不思議なジャズマンである。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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