盛岡タイムス Web News 2013年  4月 13日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉310 岡澤敏男 歎異鈔と賢治

 ■歎異鈔と賢治

  中学時代の賢治が耽読したというロシアの小説家ツルゲーネフの『父と子』ではないが、新世代の子の思想が旧世代の父の慣習と相克するテーマは時空を超えた永遠のモチーフと思われる。政次郎と賢治が争論したという宗教的対立においてもそんな気配を感じさせる。

  賢治と宗教といえば法華教一辺倒で語られる場合が圧倒的に多く、法華教に転向する以前にどっぷり漬っていた真宗体験についてはほとんど一瞥(べつ)すら与えられない傾向がある。しかし宮沢家は何代も受け継がれてきた熱心な浄土真宗の門徒で、賢治は『正信掲』や『白骨の御文』を暗誦するほどの幼児期(4歳の頃)を過ごしたという。そして少年期(16歳・盛岡中学4年生)を迎えると真宗への信仰が深まり「小生はすでに道を得候。歎異鈔の第一頁を以て小生の全信仰と致し候」(大正元年11月、政次郎への書簡)とアピールして篤信家の父を喜ばせている。それにしても、少年賢治が歎異鈔の第一頁によって真宗信仰の進むべき道を把握したということは驚くべき宗教的な感性というべきです。歎異鈔の第一頁とは第一条のことで、それを梅原猛の現代語訳をもって提示します。
「阿弥陀さまの不思議さきわまる願いにたすけられてきっと極楽往生することができると信じて、念仏したいという気が我らの心に芽ばえ始めるとき、そのときすぐに、かの阿弥陀仏は、この罪深いわれらを、あの輝かしき無限の光の中におさめとり、しっかりとわれらを離さないのであります。そのとき以来、われらの心は信心の喜びでいっぱいになり、われらはそこから無限の信仰の利益を受けるのであります。

  阿弥陀さまの衆生救済の願いはすべて平等であり、老いたる人を若き人より、よき人を悪き人より優先的に救おうなどということはありません。信心さえすれば、どんな人でも阿弥陀さまは救ってくださるのです。というのは、阿弥陀さまの本来の願いは、この罪深く、心にさまざまの煩悩を抱くわれらのごとき衆生をたすけようとするためだからであります。

  それゆえ、この阿弥陀さまの本願を信ずるためには、他の善をなす必要は毛頭ありません。ただ念仏すればいいのです。念仏以外の善はほかにありませんから。また、あなたがかってなしたであろう悪業や、いま現にこれからするであろう悪業をおそれる必要はありません。この阿弥陀さまの本願を妨げる以上の悪はありませんから。」

  賢治が親鸞の歎異鈔について初めて耳にしたのは、たぶん明治39年8月で小学4年生(10歳)のときとみられる。政次郎ら花巻の実業家たちが大沢温泉を会場として開催した花巻仏教会の第九回夏期講習会で、講師として招かれた暁烏敏は「歎異鈔について」と題して講義をしている。賢治は暁烏敏の侍童として身辺の用を務めたという。暁烏敏は難しい言葉をやさしくくだいて語ったというが、歎異鈔の講義の内容が10歳少年に理解できなかったであろうが、「歎異鈔」への関心を促したことは十分考えられる。中学生になった賢治が父の蔵書から歎異鈔を引っ張りだして熱心に読みふけったのでしょう。歎異鈔の十八条を通読したなかで、弥陀の本願は「罪悪深重(ざいあくじんぢゅう)、煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)」の衆生を助けようとするものだ、という真宗の根本にふれた教義に感銘したものではなかろうか。

  ■『歎異鈔』第一条の原文

 一 弥陀の請願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まうさんとおもひたつこゝろのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、たゞ信心を要とすとしるべし。そのゆへは、罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆへに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆへにと云々。



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