盛岡タイムス Web News 2013年  5月 29日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉173 三浦勲夫 星めぐり〜ゴッホと賢治


  ビンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890)は南仏から弟テオ宛てに夜空の星に託す思いを次のように書いた。「星を見上げるといつも夢を見る―地図で町や村を示す黒い点を見て思う夢と同じ素朴な夢だ。なぜ、と自問する。フランスの地図上の黒点のように、輝く空の星の群れに行けないのはなぜか。汽車に乗ってタリスコンやルーアンに行くように、人は死に運ばれて星に行く。生きている間は星に行けない。死ねば汽車に乗れないのと同じだ。だから、コレラ、結核、ガンは天に行く交通機関で、汽船、乗り合い馬車、鉄道は地上の交通機関だ。老衰で静かに死ぬことは徒歩で星に行くことだ。人はやがて死ぬのだとは感じなくても、人の価値など取るに足りないことは真実だと感じている」

  これを読むと宮沢賢治(1896〜1933)の『銀河鉄道の夜』の基本構図を思い出す。銀河鉄道は星座の駅を巡って、宇宙の果てにある異次元への旅を行く。賢治が『ゴッホの手紙』の影響を受けたかどうかは知らないが、画家と詩人の「星めぐり旅行」の着想に深い興味を覚える。しかしゴッホは画家と詩人を比べて画家の方がいいと言う。「僕はいつもこう思う。詩の方が絵画よりもひどいものだ。絵画は詩よりも汚れて、苦労が多い仕事だが、画家は決して何も言わず口を閉ざしている。僕はその点も好きだ」

  そのように書きながらもゴッホは弟テオにおびただしい数の手紙を書き、心情を饒舌(じょうぜつ)に吐露している。賢治は作家、詩人としておびただしい数の作品を書いたが、大きな基本姿勢は公平無私で、口数が少なく、他人のためにせっせと働く「凡人」である。「慾ハナク、ケッシテイカラズ、イツモシヅカニワラッテヰル」「ミンナカラデクノボートヨバレ、ホメラレモセズクニモサレズ、サウイフモノニワタシハナリタイ」(『雨ニモマケズ』)

  静謐(せいひつ)な落ち着きにあこがれた両者だが、人一倍感激し、激しく熱い炎を内に秘めてもいた。そのエネルギーで両者とも37歳で死ぬまでに多くの作品を創造した。あるいはゴッホの「星めぐり」の方が妖(あや)しく、白く光りながら高温を発していたかもしれない。自らの手で自らの命を絶った(といわれる)。苦悩や焦りに駆られ、それを鎮めるためにキャンバスに絵の具を厚く塗り重ねた。その力が作品にみなぎっている。

  宮沢賢治はイーハトーブの国の山や川や海や空や空気を愛した。今の季節、山は新緑の色を濃くしている。名残の桜がピンク色に点在する。早池峰や岩手山の雪は解けて青い地肌を広げている。田植えが進む。今にヤマセが白くその緑の山肌をはうだろう。しかし賢治の時代とは比較にならないほど、交通機関は発達し、東西南北を高速で結んでいる。

  だがこの2年余りイーハトーブは重苦しく沈黙している。巨大津波の被災地は町を失い、人命を失った。鉄道は寸断され、更地となった住居跡が根気を要する復興作業を待っている。人知と技術が積み重ねてきた戦後の復興と繁栄が、ただの一日でなぎ払われた。かくもの大被害が現実を襲ったのだ。あれから2年余り。イーハトーブの大地はそれでも緑に輝いている。悪夢から現実へ。現実から未来へ。現実の大地から空を眺めて、白雲の青空の影に夜空の星を思い重ねるのもいいだろう。
(岩手大学名誉教授) 


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