盛岡タイムス Web News 2013年  6月  1日 (土)

       

■ 啄木が詠んだ 盛岡中の図書庫が里帰り 鉈屋町へ宮古から移築 明治25年建造の土蔵 もりおかまち並み研究会 

     
   鉈屋町に整備される露地遊歩道と図書庫などの配置図(盛岡まち並み研究会提供)  
   鉈屋町に整備される露地遊歩道と図書庫などの配置図(盛岡まち並み研究会提供)
 

 石川啄木の歌にも詠まれた旧制盛岡中学時代の図書庫(ぐら)が、町家群の並ぶ盛岡市鉈屋町地内へ移築される計画が進んでいることが分かった。盛岡市が、東日本大震災津波前に所在していた宮古市からの移築、活用などを検討したが、頓挫。図書庫はその後、ひっそりと盛岡地域へ里帰り≠果たしており、今回移築される。盛岡市まちづくり施設整備事業に採択され、今年度内に移築が完了する見込み。

  図書庫は歴史的建造物や修景の保全活用などに取り組む盛岡まち並み研究会(村井軍一理事長)が宮古市から無償譲渡された。解体され、昨年7月に同市から5d車3台で盛岡地域に運ばれた。現在は柱などが極力変形しないよう滝沢村内で保管されている。

  同研究会事務局の渡辺敏男・盛岡設計同人代表取締役によると、図書庫は建造時、坪数約15坪、入り口のひさしを含め総建坪17坪(約56平方b)。研究会はこの図書庫を鉈屋町・大慈寺町かいわいを結んで整備する露地遊歩道沿道に移築する考え。

  研究会は図書庫の移築、露地遊歩道整備いずれも市まちづくり施設整備事業に補助を申請。5月31日に開かれた市の事業選考委員会で採択された。事業費は移築800万円、遊歩道整備345万円、設計管理費125万円で合わせて補助上限の1250万円と見込まれている。

  遊歩道は、酒造会社あさ開の昭和旭蔵北西端から、南側で町家群が並び旧岩手川建物を活用して来春供用の仮称もりおか町家物語館、大慈寺地区消防コミセンなどが面する市道までの区間に設けられる。9月着工、来年3月完了の予定。

  図書庫の移築先は市道に面し、現在修理活用事業が行われている旧藤原家町家北側の私有地。移築形式は別棟新築。ほかに憩いのスペースなども整備し、にぎわいや観光利便性の創出を図る。渡辺氏は選考委のプレゼンで「啄木関連の施設としては形が残っているものとして最後のもの」と説いた。

  図書庫は盛岡中学校の校舎が内丸にあった時代の1892(明治25)年建造の土蔵。啄木は盛中時代に「学校の図書庫の裏の秋の草
  黄なる花咲きし 今も名知らず」と図書庫に関する歌を詠んだ。

  その後、盛中は1917(大正6)年に敷地の狭あい化などに伴い校舎が上田へ移転。跡地に建った図書庫を日赤が引き受け、書庫として利用。その後、宮古市が69(昭和44)年に日赤から譲り受け、同市山口の寺院境内に移された。

  同市は寄生木(やどりぎ)記念館として、明治期の建物だった図書庫を活用してきた。2010年に入って収蔵品を同じ地区にある公民館へ移し、役目の終わった図書庫の引き取りについて旧所有者などへ照会した。

  盛岡市では、啄木没後百年記念事業実行委員会として啄木記念館への全面移築などを検討した経緯がある。これを断念して部分活用も模索したが、震災が起きて以降、宙に浮いた状態だった。
 


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