盛岡タイムス Web News 2013年  6月  13日 (木)

       

■  〈岩手からのカナダ移住物語〉58 菊池孝育 大正末期の岩手出身者


  大正10年、中山訊四郎の編集による「加奈陀同胞總覧」各県別のうち「岩手縣」の項を見ると、市、郡別の名簿となっている。

  当時の名簿をできるだけ忠実に再掲して、若干のコメントを試みる。

 盛岡市
鍛治町(亡)長嶺 ゲン
  (亡)を付しているのは、既に死亡したことを意味する。

  盛岡市の項では、ゲン一人が載っているだけで他にはいない。ゲンの最初の渡加は、明治22年秋、杉村濬(駐バンクーバー初代領事)夫人ヨシの随行であった。ヨシはゲンの実妹である。明治24年秋、杉村濬が京城公使館へ転勤になったため、杉村一家と共に帰国した。ゲンはしばらく東京で実母タミと暮らした後、明治33年、再びカナダに渡った。永住の心づもりであったが、妹ヨシの急逝に伴い大正2年に帰国した。体調も悪かったと推測される。というのは、ゲン自身大正3年5月23日他界している。

  彼女については、別項で既に詳しく述べているので、この程度に止めておく。

  ほかに盛岡出身者としては、杉村濬、同妻ヨシが、次男欣次郎、三男英三郎(カナダ生まれ)と共に、2年余もカナダで生活したことを付記しておく。
 
  胆澤郡
水澤町字塩竃 藤澤金太郎
水澤町    岩淵 金作
同町字塩竃  後藤 慶七
   同    妻  カネ
   同    長野 傳治
   同    妻  テヨ
   同    長野 太平
   同    大槻 心一
小山村字後鞍 小野寺勘吉
水澤町塩竃表小路
        鈴木 三男
同町塩竃   内田  盛
   同    吉田 愼也

 胆沢郡出身者は、ほとんど内田盛(既述)と吉田愼也(既述)が郷里の自分の縁につながる人物を呼び寄せた移住民と考えられる。鈴木三男(既述)は長らくバンクーバーに住んで、加奈太新報社の経営に携わった人物である。晩年は吉田愼也の庇護(ひご)を受けた。

  この3人を除く胆沢郡出身者は、温暖な時期には、内田盛に率いられて、オーシャン・フォールスの森林伐採や製材関係の仕事に従事した。その間は、ソーミル・キャンプに居住していたものであろう。そして冬季になると、スティブストンの吉田愼也のもとで漁業および農業に従事した。愼也はスティブストン漁者慈善団体の団体長であり、スティブストン農産会社の社長でもあった。盛と連絡を取りながら、水沢出身移住者の利益になるように面倒を見た。愼也が郷里から人を呼び寄せるとき、柔剣道に優れた者、との条件を付けたと言われる。大槻心一はその一人で、後で述べる阿部昇右衛門と共に、スティブストンでは師範格であった。

  さらに名簿にはないが、江刺人首出身の伊藤千年(ちとせ)もカナダに渡っている。吉田愼也夫人サラが郷里から呼び寄せた。しばらく吉田宅で女中をした後、スティブストンの泉直次郎に嫁いだ。泉直次郎・千年夫妻の長女清子が後に吉田夫妻の養女となった。



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