盛岡タイムス Web News 2013年  6月  17日 (月)

       

■  〈幸遊記〉128 照井顕 藤原建夫のピアノフォルテ


  僕が、盛岡市開運橋通に「ジョニー」という生演奏を中心とする、ジャズスポットを開いた翌年の2002年6月、かつてのクラブやキャバレーで演奏していたミュージシャンたちが、ジョニーで再会し結成したバンド「サウンド8(オクターブ)」。リーダーは、故人となったトランペッター及川健さん。サウンド作りはアレンジャーでピアニストの藤原建夫さんだった。

  そのバンドを連れて、大船渡市の「ウエディングパレスまるしち」が主催した「ジャズライブ&ディナーショー」へ出演したのは同年の12月、自慢の創作料理に舌鼓を打ちながら「ストレイト・ノー・チェイサー」や「ソー・ナイス」などのジャズナンバーを聴き楽しむというもので、司会は僕だった。

  以降、藤原建夫さん(70)は、トリオや6〜8人編成のバンド「スイングタイム」で定期的にジョニーで演奏するようになり、十指に余る新人女性ボーカル育成のために、惜しみなく、時間を使ってくれたのだった。熊谷絵美、絵美夏、金本麻里。今、県内外に少しは知られるようになってきた彼女らも、皆ここから巣立った。

  藤原さんは満州(現・中国)に1942年8月九州出身の母・クミコ(当時30)と盛岡出身の父・忠(当時32)の長男として生まれ、日本領事館の武官だった父の沖縄への転勤で昭和20年(1945)年に引き揚げ、その後長崎を経て、盛岡へ。

  桜城小学校、下橋中学校、盛岡農業高校普通科へと進み、高校時代に、キャバレー歌手からギターの手ほどきを受け、ベースもできるようになり半年でマスターし、親に買ってもらったウットベースを担いで上京。3年ほどクラブバンドで演奏後、盛岡へ戻り、キャバレー・ソシュウやクラブ・五番館などで演奏し、再上京、再帰郷と3年ごとに繰り返し、30歳でピアノへ転向。ピアノは演奏する上での音楽理論を勉強するために始めたはずが、すっかりその奥深さにはまり、独学5年。

  その後は盛岡のクラブ女王蜂、セラヴィ、ダンヒル、キャバレー・ミス東京などでバンドマン生活をし、40歳で自分の店「エルラパン」を開店、ピアノを弾き続けた。のち転職し十数年たってもピアノからは離れられずにいた時、ジョニーが盛岡に来たのでした。どんど晴れ!
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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