盛岡タイムス Web News 2013年  6月  24日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉129 照井顕 黒江俊のジョン・コルトレーン 


  盛岡市若園町で1978年から歯科医院を開業しているソプラノ&テナーサックス奏者の黒江俊さん(65)が率いる「ジョン・コルトレーン・メモリアルバンド」が、コルトレーンの命日である7月17日に、ちょうど、もりげきライブ(毎月第三水曜日)にあたることから、久しぶりに盛岡劇場でコンサートを開くという。

  黒江俊さんが、ジャズの巨人・ジョン・コルトレーン(1926〜1967)の音楽に出合ったのは中学3年生の頃。彼自身も当時はブラスバンドで吹いていた。ハンク・クロフォード、ソニー・ロリンズに次ぐ3枚目に買ったLPレコードが運命的出合いとなった「アフリカ・ブラス」だった。

  高校入学時には念願のテナーサックスを親から買ってもらい、コルトレーンそっくりに吹きたいと、毎日毎日練習したという。トレーンのスピード感、疾走感のカッコ良さにハマリにハマッて、大学に入った時には、当時まだほとんど誰も持っていなかったソプラノサックスをフランスから輸入。それとて、コルトレーンが吹いていたから欲しかったのだ。

  彼、黒江さんは産婦人科医の父・富雄と母・八重の長男として1948(昭和23)年3月14日、青森県弘前市に生まれ、弘前南高(同級生に、いなかっぺいさん)を卒業し岩手医大歯学部に入学。卒業して医局に4年在籍後、気仙沼市と紫波町でそれぞれ1年ずつ勤務医を経験し独立した。

  音楽は当時父が持っていたレコードの全部を、小学生のときから電蓄で聴いて覚え、グレン・ミラーから江利チエミまで、その全てが彼の血となり肉となって、大学時代はクラブやダンスホールで週3回3ステージずつ舞台を掛け持つ、バイト三昧。

  60年代前半を引っ張ったコルトレーン。17回忌(1984)の頃にはトレーン派の連中も皆フュージョンになってしまった寂しさから彼は、コルトレーンの黄金期のスタイルを再現するバンドをつくった。翌年(1985)僕は、彼等に陸前高田で開催した真夏の「日本ジャズ祭」に、20年後の2005年には、開運橋のジョニーに出演してもらったのでした。メンバーは今も変わらず、鈴木牧子(p)下田耕平(b)戸塚孝徳(ds)黒江俊(ts)。JCメモリアルバンド結成からすでに29年、コルトレーンはまだまだ生きている!
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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