盛岡タイムス Web News 2013年  8月  1日 (木)

       

■  〈風の筆〉11 沢村澄子 乏しい読書


 目が悪かったせいか、どうにもこうにも昔から読書が苦手だった。最近は老眼も進んだのでますます読まない。

  それが、あることから、数日前にドストエフスキーの『罪と罰』を図書館で借りた。小説を読むのは何十年ぶりで少し緊張。ところが、枕並みに厚いこの本を抱えメガネを掛けて布団に入ると、数分を待たずして寝てしまうのである。3日で半ページも読めず、既にわたしのどこかが返却を考え始めている。

  目にも加えて、気性がいけない。1ページ目を読みながら「早く結論を言ってくれ!」と切願するこの短気。主人公の部屋の壁紙がどんなだという描写にイライラして、何の興味も覚えないまま熟睡へ。

  高校の英語科に岸畑健次郎先生という方がいらして、当時は定年制がなかったとかで、先生がその頃、何歳でいらしたのか定かではないのだが、随分ご高齢であったことに間違いはなかったと思う。達観した境地からか、かなり自由な授業を展開されていた。

  グラマーの時間は毎回、その日先生がパラリと開かれたページを学習する。同じセクションを3回もやることもあれば、初めてのページが言い渡されるや、予習のしてきようもないわたしたちは一斉に辞書にかぶりつく。それでも間に合わずトンチンカンな答を返すと必ず、「アンタ。何を言うやらミカンやら」と先生がおっしゃるから、誰かがそれを投稿。このせりふが当時の深夜ラジオの流行語となった。

  そこには、受験勉強になど付き合ってはいられない、それも大事な勉強もいずれも「自分でやってくれ」という先生のメッセージが含まれていたのかもしれないが、高校生にとってはやはり試練の授業だったのである。きょうにも鮮明に印象に残った。

  そして最近、読書嫌いのわたしがどうしてもと本を開くとき、この岸畑方式を採っているから驚く。パンと開いたページを読み、やめ、それをあちこち繰り返す。それでその内容が分かるというのは言い過ぎだとしても、それでも分かることもあって、それが今の自分には重要なのだろう。

  たまたま開いたページの数行を読んでもその話の筋は分からず、筆者の言いたい主題のようなものもまた、つかみづらい。しかし、この読み方であってもその書き手の本質のようなものについては感受でき、一冊のどこを切り取ってもその人、どの一文節、一単語もその筆者に違いない。

  主題や文章表現を読み飛ばして、筆者その人を知ることなど本当にできるのだろうか、とまだ少し疑いつつも、現実わたしの乏しい読書は、それらをまたいでも見え、かつ、実はそれらに覆われて見えづらいところ、に注意がある。

  小林秀雄は徹底的な精読を勧めた。萬鉄五郎は「筆は人です。海の水は一滴でも味がわかるように 一つの筆触はすなわち全人であることを知らねばなりません(※)」と言った。

  ※『鉄人アヴァンギャルド 萬鉄五郎』(千葉瑞夫・平澤広編、二玄社)
     (盛岡市、書家)


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