盛岡タイムス Web News 2013年  11月   6日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉196 三浦勲夫 呼ぶ声


 みんなで集まる高校同期会もあと4年、喜寿の年で最後になりそうだ。これまで2年に1度、幹事団を煩わして開いていただいたが、今月1日の同期会で全体会はあと2回(4年間)行って最後とする、あとは適宜のグループで継続されたいという提案がなされた。今回も数人の方が物故されていた。一抹の寂しさは残るが、やむを得ないかもしれない。

  50人が出席し、顔見知り同士、思い出話やら近況やらを話し合って盛会だった。ただ近況には病気体験の話がかなりあった。それでもいくつかの問題を乗り越えて同期会に集えるのは幸せなことだ。しかし物故者、体調不良の欠席者には同情を禁じ得ない。誰に限らずいつ同じ運命になるかも分からない。

  天からのお声がいつ掛かるか。フォスターの曲「オールド・ブラック・ジョー」を思い出した。「わが心若く快活だった時は過ぎた。わが友ら綿畑から姿を消した。この世よりもっと良い国へ去った。彼らが優しくわれを呼ぶ声が聞こえる。われもいくわれもいく。わが頭は垂れ、友の優しい声を聴く。オールド・ブラック・ジョーと」。これは奴隷としてともに苦しんだ仲間の呼ぶ声を聴く奴隷老人ジョーである。

  場面は全く異なるが、先に逝った同期の人たちへの哀悼を黙とうでささげた。まだ天からの「呼び声」が掛からない者たちは声が掛かるまでの間、生きていかなければならない。生きるということは活動することである。金銭になろうがなるまいが動いて、誰かの役に立って、生きるのである。これも天からのあるいは他人や社会からの「呼び声」(コーリング)に応えることである。与えられた使命(コーリング)である。

  同期会に集まった人たちは幹事からの呼び掛けに応えることができた。人間の集まりは「呼び掛け」から始まる。今後4年は大きな呼び掛けがある。そのあとは小さな呼び掛けになる。大きくとも小さくとも、集まった人の輪ができる。その人たちが互いに懐旧談に興じ、近況を話し、来られない人の消息を伝え、そして互いを励まし合う。

  同期会は11月1日だったが、その日の朝偶然に、英語教師の外国人から英米合作の新作映画「12年の奴隷」の話を聞いた。1841年、まだ奴隷制度が南部のプランテーション(大農園)を支えていたころの実話に基づく。北部自由州のワシントンで家庭を営む黒人の父親が誘拐され、南部の大農園に売り飛ばされ、12年間を奴隷として過ごす運命となった。その苦難の物語が今、映画ファンの大きな話題になっているという。

  聞きながら自分は日本の「山椒大夫」の物語を思っていた。人身売買は肌の色の違いだけではない。安寿という娘、厨子王という息子、その母親は人買いに捕えられ、親子は引き離される。子どもたちは丹後の国の奴隷荘園領主、山椒大夫のもとで酷使される。京に脱走して丹後の国司になった厨子王は山椒大夫の荘園の奴隷を解放する。佐渡に母がいるとの噂を聞いて佐渡に来ると、彼の耳に老いて盲目となった母親の子を思う歌声が聞こえた。「安寿こいしや、厨子王こいしや」。厨子王と母は長年の夢であった再会を果たす。しかし安寿は弟を脱出させた後に入水して亡くなっていた。
  同期会の会員は減っていくが残る者たちはその分も何とか活動を続けることが務めなのかもしれない。
   (岩手大学名誉教授)


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