盛岡タイムス Web News 2013年  11月   24日 (日)

       

■ 〈盛岡訪ねた映画人〉4 大澤喜久雄「津島恵子・淡島千景」 

 石川啄木を主題とした作品は、過去4本作られている。以下、各製作年(昭和)や啄木役者≠列記する。

  @「情熱の詩人啄木 ふるさと篇」(日活1936(昭和11)年=島耕二)A「われ泣きぬれて」(松竹48(昭和23)年=若原雅夫)B「若き日の啄木 雲は天才である」(新東宝54(昭和29)年=岡田英次)C「情熱の詩人啄木」(大映62(昭和37)年=本郷功次郎)

  盛岡シネ研の照井会長は、Aの松竹作品(芦原正監督)の渋民ロケを見学している。会報の参加記によると、主として北上川や岩手山、姫神山などの風景撮影だったが、現地を肌で感じたいとして、主役に抜てきされた新進スターの津島恵子も同行、盛岡に2泊している。

  撮影現場に50人近くもの見学者が押し寄せたところから、芦原監督はPRを兼ねたサービスで、啄木の育った宝徳寺の本堂で懇談会を開いた。

  話し合いも盛り上がったが、さらに見学者たちを喜ばせたのは津島のサイン会。照井会長も後方に並んだが、行列の進み方が異常に速い。サイン1枚が3秒弱という超人的スピードだったという。

  後年のシネ研例会で、会長は大切にしているサインノートをご開帳したが、そこには〈つしま恵子〉と書かれている。これなら早く書けるはずだと合点した。

  津島は長崎県出身、松竹大船撮影所でバレエ教師をしていたところを吉村公三郎監督に見いだされ、「安城家の舞踏会」(47年)で主役デビューし注目された。

  数年後には、清純派女優からの脱皮を目指してフリーとなり、約40人の女学生が自決した沖縄戦の悲劇を描いた「ひめゆりの塔」(53年・東映)での教師役が絶賛された。また黒澤明監督の「七人の侍」(54年・東宝)ほか、多くの作品に出演している。

  さて、啄木の生き方を主題にした「われ泣きぬれて」だが、ふっくら顔の若原は啄木のイメージと合わず、ミスキャストだというのが大方の評で、興行的にも芳しくなかった。

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  井伏鱒二の小説を軽い喜劇仕立てにした「駅前旅館」(東宝・豊田四郎監督)が封切りされたのは昭和33年秋。上野駅周辺にある各旅館の番頭同士の張り合いをコミカルに描いている。

  これが大ヒット。新脚本による駅前シリーズ≠ニして全24作、10年余りにわたる長期連作となった。森繁久弥と淡島千景が全作品に出ている。以下は、その第1作にまつわるエピソード。

  撮影に入る1カ月ほど前、淡島は原作のモデルとなった旅館内の雰囲気を感じ取ろうと夕方、上野近くのM旅館に行き、女将(おかみ)から話を聞いているところへ、100人以上の修学旅行生たちがバスでの観光を終え、戻ってきた。

  2列で階段を上がるのも静か、大広間で先生が翌日の予定を話すのも、私語一つなく聞いている生徒たちの純真さに、東京生まれの淡島は感動した。

  「どちらの学校?」と聞くと「岩手の盛岡中学。こんなにきちんとした生徒さん方はめったにいませんよ」と女将も感服顔。

  淡島が後年書いた回想エッセーによると、青森でロケの仕事を終えての帰り、十数年前に上野の旅館で見た生徒たちの純真な姿を思い出し、付き人と2人で盛岡駅に途中下車した。あの生徒たちを育んだ街を見たいと思ったという。

  タクシーの運転手に「街がよく見える場所へ」と注文したら、岩手公園(盛岡城跡公園)の石垣の上まで案内してくれた。美しい山々と川、それに城下町らしい落ち着いたたたずまいが印象的│と述べている。

  なお津島と淡島は、小津安二郎監督の代表作に数えられる「お茶漬けの味」(52年・松竹)で共演している。     (旧盛岡シネ研幹事)


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