盛岡タイムス Web News 2013年  11月   25日 (月)

       

■  〈幸遊記〉150 照井顕 芦野真弓の盛岡少年少女合唱隊


 サケがそ上する季節が近づいてくると、盛岡市紺屋町にある「白沢せんべい店」が30年ほど前に発行した、しおり本「旅の詩集」に収録している、「それぞれの川を下り、大海を知り、天の深さをも知りながら、また帰ってくる魚、命を終えるその瞬時まで、一生懸命に生きることを鮭に学びたい」の文章を、僕は今も思い出す。

  著者は芦野真弓。盛岡少年少女合唱隊の指揮者。ブルガリアの歌を当時100曲あまりもレパートリーに持っていた、世界無二の存在だった彼女は、ブルガリアの国賓として迎えられ、訪ブ歓迎のパーティーには毎回大統領が出席した。駐日大使の日本での公式パーティーにも大使夫人公認での日本ワイフ役を務めたりもした。

  だが僕が盛岡に店を出してこの方13年、ついぞ、盛岡少年少女合唱隊の名を聞くこともなく、寂しく思い起こしたら、合唱団のレコードが無性に聴きたくなった。彼女が選んだ宮澤賢治の詩に、ブルガリアの作曲家・ペーター・ストーゥベル(国家功労芸術家)が曲をつけた合唱のための組曲「日本への歌」。そう!あの「海だべがど おら おもたれば やっぱり光る山だたじゃい」のフレーズが浮かぶ。だがレコードは陸前高田に置いてきてたから、それこそ海がさらって行って、もくずとなった。

  それで最近彼女に幾日か、朝昼夜何度か電話してみたが留守。ところがその直後、盛岡駅でバッタリと必然的に出会った。彼女は後日、ご主人と一緒に僕の店に来てくれた。母の介護にあけくれた十年余りだったらしい。一週間後、僕はあのレコードに合いに彼女の自宅に伺ってそれを頂き、十数年ぶりに聴いた。1982年10月9日、岩手県民会館で開いた「盛岡少年少女合唱隊の特別演奏会(創立20周年。父から引き継いだ高2の時からの新発足15周年)」の記念盤。

  彼女とブルガリアの出合いは県民会館落成時のこけら落しのコンサート。ソフィア少年少女合唱団の歓迎相談を持ちかけられたのが始まり。僕と彼女の出会いは、79年TVI番組「街角に文化を築く青春群像」だった。その後、彼女は僕とのいきさつを、1988年・合唱隊冬に歌うのパンフレットに書いてくれた。1950(昭和25)年7月17日、秋田出身のバイオリニストの父、故・文雄と東京日本橋生まれの母、故・斐子の間に盛岡で生れたのが真弓さん(63)なのでした。
  (カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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