盛岡タイムス Web News 2014年  3月  5日 (水)

       

■  〈花林舎流庭造り─よもやま話〉1 野田坂伸也 ガーデナーになるまで



     
  シクラメン・ペルシクム。地中海沿岸原産の原種シクラメンの一種  
  シクラメン・ペルシクム。地中海沿岸原産の原種シクラメンの一種  

 私は大学で5年間助手をした後、縁あって小岩井農場に勤めることになり14年間お世話になりました。45歳の時、思いがけないことで、そこも辞めて独立して造園のコンサルタントを始めました。幸いにも日本経済は空前の好況にのぼせ上がっていた時代で、造園設計事務所をやっていた東京の知人が、忙しくて人が足りないから手伝ってくれ、と言ってくれたので1年の3分の1くらいは出稼ぎに行くような生活を数年続けました。ところが、バブル経済がはじけて、ある年、突然仕事が来なくなり、その後数年は、あちこちのおこぼれの仕事で食いつないできましたが、とうとう、にっちもさっちも行かなくなりました。その時、またまた幸運にもガーデニングブームがおこり、それまで庭を造らなかった庶民(富裕層でない人)が、われもわれもと庭造りを始めました。

  そして庭師でもない私に知人を介して「庭を造ってもらえないか」と言ってきた人がいたのです。私はそれまで庭の設計は2、3カ所やったことはありましたが自分で造ったことはありませんでした。しかし生活に困窮していましたから、このチャンスを逃すわけにはいきません。いかにも経験豊富なふりをして、やらせてもらうことにしました。ちょうど親戚に建設工事などに慣れた人がいて、今は暇だからということで手伝ってもらえることになりました。植栽工事は私でもできたのですが、れんがを敷いてテラスを造るといったようなことは、その人にやってもらい、初めてにしてはまずまずの仕事ができました。私はこの時55歳くらいでした。

  これを手始めにして庭造りの仕事が少しずつ入ってくるようになり、かれこれ20年近く続いています。もっとも、最近は老齢のため重労働がつらくなり、新しい仕事は、ほとんどお断りしています。

  庭師になる人は親方について何年か修業して技術を覚え、やがて独立する、というのが通常のやり方ですが、私は師匠につくことはなく、ずっと自己流でやってきましたので、以前のように庭と言えば日本庭園しかなかったころであれば、とても他人にお話するなどということはできなかったのですが、今はガーデニングが主流の時代ですので庭についても自由な考え方が認められるようになりました。

  自宅のあるところを「花林舎」と称していますので、「花林舎流庭造り―よもやま話」というタイトルで、私の考える庭造りの話を連載させてもらうことになりました。どうぞ、よろしくお願いします。(隔週で水曜日の掲載を予定しています) 


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