盛岡タイムス Web News 2014年  7月  21日 (月)

       

■  〈幸遊記〉184 照井顕 菊池忠東の斗六・すし六


 時折、用事があって上京する時、僕が楽しみの一つにしているものに駅弁がある。買うのは決まって「八戸小唄寿司」。サバとサケをスライスして酢でしめただけの押し寿司(ずし)なのだが、これが実に味わい深いものなのだ。何十回と食べても飽きないおいしさ。そして食べ始めれば頭の中に浮かんでくるのが、もちろん八戸小唄「唄に夜明けた鴎の港、船は出て行く南へ北へ」(法師浜桜白作詞、後藤桃水作曲)。昭和6年市制施行ほやほやだった八戸市が発展を祈願し、作った新民謡。

  ごちそうさま!と箸おく頃に、これまた決まって浮かぶのは、気のいい仲間と寿司を食べに八戸に新幹線で行った日の事。6人以上では来るなよ!という店主・菊池忠東さんの言葉を無視して、7人プラス現地人1人の8人で押しかけた、店の名は「すし六」。カウンター6席だけの小さな店だったから、店主の座る椅子をカウンターの中から引っ張り出してギューッと座った。余った1人は、カウンターの中に入っての立食。店主1人で8人分を握る忙しさ!握って出ればあっという間に胃の中に消えるおいしさに、「お前ら、少し味わって食えよ!」と店主。

  小1時間やっと握り終わって、盛岡時代の話をしようかという矢先、「さあ!新幹線の時間だから帰ろうか!」一斉に立ち上がると、「お前ら一体何しに来たんだよ」と店主のあきれ顔。それを横目に「さあ帰ろう」でチョン。駅までバスに乗り、駅から列車の本当の寿司食い旅行。帰りの話は当然、主のネタモノで盛り上がった楽しい旅だった。

  菊池さんは、昭和17(1942)年生まれ。盛岡仙北中学を卒業と同時に上京。新宿歌舞伎町の寿司店に就職し修業10年。景気が良かった時だから兄を頼って Jターンし、八戸グランドホテル前に「斗六」という寿司店を開いたのは昭和43年26歳の時だった。地元はもちろんのことだが、ホテルに泊る有名人たちが随分と来てくれて店は32年も続いた。

  僕が盛岡に来た頃、前後するように彼も盛岡に来てホテルの寿司屋で働き、よく僕の店に来てくれた。とにかく誰もがハッとするほど、カッコイイ!オシャレをする人。その後また八戸に戻って店をやった。目を患ってからは、毎日散歩と川柳の年金暮らしさと笑う。
(カフェジャズ開運橋のジョニー店主)


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