盛岡タイムス Web News 2014年  10月  15日 (水)

       

■  〈花林舎流庭造り─よもやま話〉17 野田坂伸也 建築と外部空間


     
   美しい蔵の向こうにもろに見えるスーパーの建物。手前の植栽の味気なさもこの蔵には合わない  
   美しい蔵の向こうにもろに見えるスーパーの建物。手前の植栽の味気なさもこの蔵には合わない
 

 今年は6月から週1〜2回、鉈屋町のあるお庭の改造工事(といってもほとんど新しく造るのに近い)に通っています。スーパーのユニバースの隣に大きな蔵があり、いつのころからか改修工事が行われていました。何ができるのか知らず、ただ鉈屋町の雰囲気を壊さないようなものができればいいが、と思っていました。そして意外に早く完成。建築については素人の私ですが、実に美しい立派な蔵が出現したのに驚きました。しかも、通りに面した町屋も1軒改修されて、すでにできていた番屋の建物の隣に並んでいるではありませんか。その町屋の入り口には「もりおか町屋物語館」と表示されています。

  そこでようやく盛岡市がこの一帯を整備したのだと知りました。

  自称鉈屋町気違い≠フの方からこれまで改修済みの3軒の町屋を案内してもらっていた私は、こういう施設ができて鉈屋町が「小京都(あまりいい言葉ではない、京都に似ているからと言って喜ぶような自主性のなさは情けない、という人もいますが)盛岡」の核地域になることが格段に促進されるだろうという印象を受け、とてもうれしくなりました。

  オープンの日は運よく庭の工事に行っておりましたので、昼休みに蔵の方に行ってみました。これまでの人生の7分の5を昭和期に過ごした私にとって、とても懐かしい品物が並んでいました。ただあまりにもきれいに整然と配列されている上、田舎のばあさんではなく若い美人が店番をしているのに違和感を感じてキャラメル1箱を買っただけで出てしまいました。

  それから庭工事に行くたびちょっと寄ってみるのですが、内部の建築や展示の素晴らしさに比べて外部空間への配慮がずいぶん欠落していることに気が付きました。植物を扱う造園業者として第一に気になるのは、植栽のあぜんとするほどの単純さです。建築にあれほど隅々まで配慮しているのに植栽はただドウダンツツジを直線状に並べているだけ、というのはいくら何でもあんまりです。木が植わっていればいいんだろう、という魂胆が見えすいています。町屋の雰囲気とこの単純さは全くかけ離れています。植栽地の形が駐車スペースと歩行スペースの残り部分、つまり機能的に必要とされるスペースを初めに決めて、余った部分に木を植える、という設計になっています。植栽によってどんな空間を演出しようか、と考えた形跡が全く感じられません。

  その結果、せっかくの美しい蔵の隣に、昭和ではなく平成のスーパーの建物がもろに見えていますし、蔵の入り口に至るまでの空間がいかにも殺風景です。駐車場に入ってくる途中から昭和の雰囲気が感じられるようになっていなければ、観光客を引き寄せる力が弱いと思います。

  多分、建築にかける配慮と経費の千分の一を外部空間に回してもらえばずいぶん違うものになると思います。特に発注者の方に考えていただきたいです。


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