盛岡タイムス Web News 2014年  11月  6日 (木)

       

■  〈風の筆〉75 沢村澄子 傘のそれから 2


 強風で壊れてしまった牛乳パック製の傘を今度はどうするか、を話し合った。

  庭園アートフェスタの会期は残り1週間ほど。結局、池への再設置は断念するのだが、手伝ってくれていた庭師のお兄さんは「最後の土日、花咲かせてぇなぁ〜」と、最後まで残念そうだった。公民館を訪ねてくださるお客さんに、池から突き出た、くるくる回る傘を見せたいようだった。

  みんながおのおのの仕事に戻るのを見送り、わたしは1人、傘の解体にかかった。骨組みが既に壊れてしまっていたから、池であれ陸であれ、立たせることはもう難しかった。それで、骨も柄も外してしまい牛乳パックのみにしてみると、池に長く漬かっていたせいか、形にならない、これが。出来たてほやほやの頃は、それだけでも立派なおわん型を作っていたのに。

  どうしたものやら、と思案しているところへ、お客さんが通りかかる。「えー。壊れちゃったの〜」「あら、これが在りし日の写真?」「面白いわね。これ何の形?え?傘が壊れた?壊れてよかったんじゃない?この形、不思議よ!」「牛乳パック何枚使ってるんですか?」「すごいわ〜。岩手には牛乳一体何種類あるのかしら?」「この中どうなってるの?空洞?何かあるの?入れるの?」ついには「あなたが沢村さん?盛岡タイムス読んでるよ!壊れちゃったの?でも、壊れなかったら直しに来なかったろうから、壊れたから会えたんだよ!」と、勢い一緒に記念撮影。壊れているのに、何だかウレシイ…?

  しかし、この後をどうするか。また、人々は言う。

  「高い木からつり提げてパラシュートのようにしよう」「あの松の木に帽子みたいにかぶせたらどうか」「テントみたいに張って、人が中に入れるようにしたい」「ビニールプールかと錯覚しました!」じゃあ、雨がたまったら金魚を放てばいいかしら…。「子ども連れてすくいに来ます!」。

  わたしは何が壊れたのか分からなくなった。自分の作品が壊れたというのに何一つ悲しくないのはなぜ?

  先週書いた通り、台風で一時避難したあと再度設置する際に、庭師のお兄さんたちが傘に竹製の骨を入れてくれて、ぐにゃぐにゃしていた傘が随分立派になったのだ。本物の傘のような骨組みではなく簡略化されたものではあったけれど、その威力は大きかった。そして、それを設置し終わったその時、1人のお兄さんが言ったのである。「あぁ、あそこにもう一本(竹の骨を)入れてぇなぁ〜」。

  その声がわたしには希望≠ノ聞こえた。人々が何かを願う。何かを求める。あしたのことに。そこで発揮される創造力は、わたしたちの豊かな想像力、まさにそのものだ。

  わたしの作品は本当に壊れたのだろうか。やはりわたしは、何が壊れたのか分からなかった。
     (盛岡市、書家)


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