盛岡タイムス Web News 2014年  12月  22日 (月)

       

■  〈幸遊記〉206 照井顕 玉山秀之のレイ・チャールズ


 奥州市胆沢区のシンガー兼ピアニストのタマ・チャールズこと玉山秀之さんが、公演先の神奈川県で亡くなったのは、2010年11月23日58歳だった。年月は早く過ぎ去り、すでに丸4年がたった。

  僕がタマさんに初めて会ったのは、何十年前だったかな?東京ではやってた“イカ天”をもじった“イワ天”というアマチュアバンドのテレビ勝抜き合戦。それをIBCが企画・放送したもので、テレビに出て演奏する二つのバンドにコメントや甲乙をつけて、演奏終了後すぐに県内各地の審査員が局にファクスし、それを放送中に集計し勝負を決め、何週か後の決勝戦はスタジオでの生演奏を審査する番組。その審査員の一人が僕であり、タマさんだった。

  彼は中学からギターにのめり込み高卒後の70年代から80年代にかけては、コンテスト荒らし男と称されたほど、さまざまな賞を勝ち取り、世界歌謡祭に彼の「LIVING・ON」がノミネートされるなど、高い評価を得たりした。

  でもタマさん本人にとって真の転機となったのは、1980年代の末に来日した、盲目のピアニスト兼歌手のレイ・チャールズ(1930〜2004)の公演を聴き、すっかり魅了され「愛さずにはいられない」状態になってしまったことからだった。僕もそのステージを見聴きした一人。今、鮮烈に思い出せるのは高校生時代に見たレイの主演映画「星空」のいくつかのシーンだ。

  それはともかく、彼はそれ以来ギターからピアノに転向した。レイ・チャールズの歌唱、身のこなし、髪型、服装、メガネ、歩き方まで全てを研究、そして遂に「タマ・チャールズ」を名乗るに至ったのでした。2001年から開運橋のジョニーにも幾度となく出演したが、忘れられないのは、不況で沈滞している東北に活!ふるさとに活!ついでに自分にも勝!と自作曲「東北6県ロール」と「縄文」曲CDの発表だった!。

  東北を中心に北海道から九州までステージの声がかかるほどエンターテイメント「音楽は永遠のチャレンジである」は彼の名言。「歌は僕の命なのだ。音楽はすべて真面目に心から演奏されたものでなければならない。クラシックだってジャズだって、ポピュラーだってその点に変わりはないさ」とは先立ったレイ・チャールズの言葉である。二人は今、あの星空でサングラスをしながら夢のデュエットをしていることだろう!
(カフェジャス開運橋のジョニー店主)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします