盛岡タイムス Web News 2015年  2月  24日 (火)

       

■  〈おらがまちかど〉26 盛岡市 武道地区 渋民にも義経の伝説 住民が守るゆかりの社 民俗芸能は供養踊り(馬場恵)


     
   武道八幡神社の内部。義経伝説に思いをはせる前川健一郎さん(左)と竹田俊光さん  
  武道八幡神社の内部。義経伝説に思いをはせる前川健一郎さん(左)と竹田俊光さん  
  盛岡市玉山区渋民の渋民公民館から400bほど北。北上川と松川の合流点や、その周囲の田が一望できる丘に、ぽつりと社が建つ。源義経ゆかりと伝えられる「武道八幡神社」だ。4畳ほどの社内には八幡神社(創立1062=康平5年ごろ)と合わせて「判官堂」(同1189=文治5年ごろ)、「愛宕神社」(創立不詳)がまつられてある。

  地域の伝承によると、源八幡太郎義家が安倍一族との争いの最中、戦勝祈願の祠(ほこら)を建て、陣を張って人馬を休ませたのが始まり。時代は下り、京都・鞍馬寺を16歳で出奔し、奥州平泉にいた義経は、義家の足跡をたどって武道の八幡館(後の判官堂)に逗留(とうりゅう)。武芸の稽古に励んだと伝えられる。

  渋民の荷坪で愛馬が倒れたため、八幡館付近で治療したが死んでしまい、義家が建立した玉山区芋田の蒼前観音堂(現芋田駒形神社)前に埋葬したという。

  さらに、平家討伐後、兄・頼朝と不仲となり奥州平泉に落ちた義経は、藤原泰衡の軍勢に追われた際、衣川館で自刃せず北上。武道にも立ち寄り、戦没者を供養する剣舞を自ら舞い伝えたという伝説もある。大石平念仏剣舞(八幡平市)、桑畑七ツ踊り(玉山区巻堀)、釘の平念仏剣舞(玉山区川又)は義経供養踊りとして伝承されてきた。

     
  玉山区上武道にある「武道八幡神社」。丘の上の社に「判官堂」もある  
  玉山区上武道にある「武道八幡神社」。丘の上の社に「判官堂」もある
 
  元玉山区渋民公民館長で地域の歴史にも詳しい竹田俊光さん(66)は代々、武道八幡神社を守る竹田家の婿養子となり、以来、その務めを果たしてきた。昨秋は義経の生き様と武道地区との関わりを紹介するパネルも作り、渋民公民館の文化祭で紹介。そのパネルは、武道自治会長の前川健一郎さん(77)の勧めで現在、武道公民館(武道地区集落農事集会所)に展示されている。

  「判官(びいき)」という言葉に象徴されるように義経は歴史の中でも人気が高い。武道に来た確たる証拠はないものの「火のないところに煙は立たない。確かに、この辺りは地形も起伏に富み、武芸の稽古には打って付け」と前川さん。竹田さんも「伝説が広く知られ、地域への愛着や誇りにつながってくれれば」と語る。

  自治会では神社が建つ丘の周りに桜を植え、毎年、刈り払いをしている。桜で覆われた伝説の丘が、心安らぐ憩いの場として未来に引き継がれてほしいと願う。
  (馬場恵)


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