盛岡タイムス Web News 2015年  3月  9日 (月)

       

■  〈幸遊記〉217 照井顕 高田邦生の黒川さんさ太鼓


 「はるばる」という3枚目のアルバムをリリースした、笛と太鼓のユニット「朋郎」が、4月8日(水)開運橋のジョニーへ8年ぶりにやって来る。武田朋子と内藤哲郎、2人合わせて朋郎(トモロウはあした)。過去の音に未来を学び紡ぎ出す和太鼓と篠笛の世界観「どこまでも心地よく人々の胸に届くこと」をモットーに旅で出合う、さまざまなことにインスパイアされて生れた音楽をさらなる旅で披露する2人。

  その朋郎の友が、盛岡在住で福岡県福津市出身の高田邦生さん(37歳、盛岡中央消防署の消防士長)。この3人、実は新潟県佐渡島の太鼓集団「鼓童」が取り持つ縁で結ばれていた。鼓童の前身、鬼太鼓座(おんでこざ)は、秋田の舞踏集団わらび座出身の田耕(でんたがやす)氏が佐渡の芸能鬼太鼓にちなんで立ち上げた集団だった。あの林英哲もそこの出。

  30年以上も前、僕は鬼太鼓座のレコードをよく聴いた。今にもレコードの針がぶっ飛びそうになる凄音で、オーディオのチェック用としても使った記憶が残る。その陸前高田には1989年から続いてる全国太鼓フェスティバルがあり、鼓童も出演したことがあるけれど、高田さんが盛岡に就職した理由は「さんさ太鼓」だった。

  さんさ(参差)は「目出度いこの御庭を見申せば四方の隅からサァ黄金湧く」の御門讃めの唄に始まる盆踊り唄。その唄数も飯岡、米内など十指に余り、踊りは太鼓と笛を先頭に右回りの円陣を作り急テンポで踊られてゆく輪踊り。またの名を「そそぎ踊」とも称され、一隊は門付けをしながら家々を順々に踊り歩いた。(武田忠一郎、1892〜1970)

  さんさの太鼓は今ギネスに挑戦するほどの大規模な祭りとなったが、元の輪をくずす行進性にかたくなに背を向け伝統を守り、ギネスの挑戦に参加しなかった唯一の団体、それが「黒川参差」。そんな見応え、やりがい、気骨のある「さんさ太鼓」に高田さんが出合ったのは、彼が大学3年の時。2年間休学して学んだ、鼓童の芸能大学でだった。「さんさ太鼓は教えるが、鼓童の舞台に乗せてはならん」その郷土芸能のかたくなな守り方にほれ込み、復学した大学を卒業して黒川さんさの会長・松本敏邦氏の門を叩き今に至った。3人の子の父でもある。
(カフェジャズ開運橋のジョニー店主)


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