盛岡タイムス Web News 2015年  4月  23日 (木)

       

■  〈風の筆〉98 沢村澄子 10時間、無言で


 「もうアカン!」「もうアカンで!」「今度こそホンマや!」「頼むから帰って来て!」そんな狼少年みたいな母の電話の逐一に付き合っていたら、わたしは破産する。

  実家・大阪までの交通費を思うと泣きたくなるのだが、しかし、そんな話になると母は決まって、悠然と補聴器をはずす。

  それで、今回は春休みをいいことに、「青春18きっぷ」でお里帰り。東京で用など足しながら、東北本線、東海道本線を、ほぼ鈍行、普通列車で移動した。

  昔、教員をやっていた頃に、わたしは春休みになるとこの切符で一人、小さな旅に出たのだが、それはどこへ何しに、といったものではなく、ただいたずらに日長一日列車に揺られ、日帰りか、せいぜい一泊で帰ってくるというものだった。

  車内でも特に何をするわけでもなく、楽しみといえば、「次の駅名の漢字当て」というようなもの。

  例えば、仙北町駅の看板には、「仙北町」と漢字で表記されたその両脇に、「もりおか」「いわていいおか」と両隣の駅名が平仮名で記されているが、普通列車に揺られ、仙北町駅同様の看板で次の駅名をまず平仮名で知ると、その漢字を考えて、わたしは一人喜んでいたのだ。

  80%くらいは当たるものだが、想像だにできないものもあった。

  確か長野に、「さんさい」という駅があって、「三彩」「山際」「山菜」…などといくつかを思い浮かべたものの、実は「三才」だった。

  「なんで三歳?」という疑問とともに、「じゃぁ、どこかに『五歳』もあるの?」と窓の外を眺めながら、かなりの高地をスイッチバックで走った記憶がある。

  また、車内で聞こえてくる会話が方言であることも楽しく、よそ行きの格好で新幹線に乗るというのではない、通勤、通学、買い物といった日常の営み、それら普段着感覚がいっぱい詰まったその土地の在来線に、自らが異物として混入することも愉快だった。

  今回は特に、大阪〜東京間を各停で走るのが初めてだったので、どの辺りで関西弁が関東弁に変わるのかを聞き取りたいと思った。

  大阪を出たときには、間違いなく車内では、にぎにぎしい大阪弁が飛び交っていた。

  米原、大垣、豊橋辺りでも、もちろんイントネーションは関西系であり、さほどの違和感、変調にも気付くことはなかった。

  浜松、島田、富士、と景色のいい辺りで、うとうと寝てしまった。雨で富士山も見えないと、油断して。

  そして、熱海。この辺で一気に乗車率が上がり、人々の話し声がよく聞こえてくるようになると、なんとそこはもう、間違いなく関東の言葉圏だったのだ。

  シマッタ!と思ってもあとの祭りである。次に東海道線を各駅停車で旅することなど、あるやなしやの酔狂に違いないのに。

  ところで、大阪から東京までを10時間かけて行くと言ったわたしに、母が真顔で言ったのである。

  「10時間もの間、ずっと黙ってるん?一言も話せへんの?なんでそんなことするん?お母さんやったら気ィ狂うわ」
(盛岡市、書家) 


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