盛岡タイムス Web News 2016年  12月  3日 (土)

       

■ 〈体感思観〉 編集局 佐々木貴大 ありがとう松田賢太


 11月20日、岩手県サッカー界にとって偉大な選手がスパイクを脱いだ。サポーターによる「幸せな結末」の大合唱の中、グルージャ盛岡一筋10年、松田賢太選手の現役生活が幕を閉じた。

  グルージャの取材を担当し始めたのは2010年。東北社会人リーグ1部でJFL昇格を目指して戦っていた当時のグルージャで、すでに松田選手は中心にいた。その後、11年シーズンからゲームキャプテン、12年シーズンからキャプテンを務め、名実ともにグルージャの顔となったが、本人は「うまくいかないことの方が多い10年だった」と振り返る。

  何度挑んでも越えることのできない全国地域サッカーリーグ決勝大会(通称・地決)の壁。11、12年には地決そのものへの進出を逃すなど、なかなかJFL昇格を果たせない日々が続く。「どうやれば昇格できるのか、分からなくなっていた」と当時を振り返る松田選手。記者自身も同じ気持ちだった。

  そんな中、13年にチャンスが訪れる。14年開幕のJ3リーグに、地域リーグから1チーム参入できる可能性が生まれた。この年、グルージャは地決で初優勝し、J3へ飛び級昇格を果たした。肴町アーケード内で昇格決定の一報を受け、普段は寡黙な松田選手がサポーターと満面の笑みで喜びを分かち合う姿が今でも目に浮かぶ。

  16年シーズンの松田選手は、開幕前に体調を崩しチームから長期離脱。その後、復帰を目指してリハビリに励んだが、シーズン途中に引退を表明した。11月20日のシーズン最終戦で今季初出場を果たすと、引退を決意した選手と思えない積極的なプレーを見せ、会場を沸かせた。

  実は冒頭に紹介した「幸せな結末」は、勝利時に歌う応援歌であり、引き分けとなった今シーズン最終戦で本来は歌われることはないはずだ。それでも「ミスターグルージャに幸せな結末を」と、サポーターはこの選曲をしたのだろう。

  選手寿命の短く、移籍の激しいサッカー選手の中で、本当に愛され、惜しまれ、自らの意志でピッチを去れる選手はほんの一握り。そんな偉大な選手が岩手にいたことを記憶にとどめたい。
 


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