盛岡タイムス Web News   2017年  8月  16日 (水)

       

■  紺碧の友嬢(下) 青い目の人形来日90年 「人形を迎える歌」の記憶 大信田尚一郎・時子さん夫妻 亡き母、晩年口ずさむ


     
  動画で記録した故・平田コヨシさんの「人形を迎える歌」に聞き入る長女の大信田時子さんと尚一郎さん  
  動画で記録した故・平田コヨシさんの「人形を迎える歌」に聞き入る長女の大信田時子さんと尚一郎さん
 

 「青い目をした お人形は―」の歌い出しで知られる野口雨情作詞、本居長世作曲の童謡「青い目の人形」。アメリカから日本へ人形が送られた頃に大流行し、「友情人形」が「青い目の人形」と呼ばれるようになったといわれる。童謡「青い目―」が発表されたのは人形が日本に来る6年前の1921(大正10)年で、国内の歓迎式典では「人形を迎える歌」(文学博士・高野辰之作歌、東京音楽学校作曲)が広く歌われていた。(藤澤則子)

  盛岡市天神町の元教諭・大信田尚一郎さん(75)と時子さん(77)夫妻は、時子さんの母の故・平田コヨシさんが晩年、「人形を迎える歌」を歌っているのを聞いた。1915(大正4)年生まれのコヨシさんは、大船渡市三陸町の越喜来小を卒業。昨年11月に101歳で亡くなったが、同年4月に自宅で歌っていたところを尚一郎さんが動画で記録していた。

  「海のあちらの 友だちの まことの心のこもってる かわいいかわいい人形さん―」と、3番まである歌詞のうち1番はその通り、2・3番は歌詞が交じるところもあったがほぼ覚えていたという。

  人形が日本に来た年、コヨシさんは12歳ころ。越喜来小に人形は残っておらず、当時の新聞記事(1927年3月30日付)に掲載された人形の県内の分配校にも同小の名はない。同小卒の時子さんも「見たことも、聞いたこともない」というが、1980年発行の同校創立100周年記念誌の年表「本校の主な出来事」の中に「昭和2年5月5日 米国人形歓迎会」の記載があり、第1次配布より遅れてきた人形を迎えるため、コヨシさんが練習していたとも推測される。

  時子さんは「90年も前の歌をよく覚えていて、人形が来るのを楽しみにしていたのではないか。越喜来小は1933(昭和8)年の昭和三陸津波でも被害を受けており、母からも人形のことを聞くことはほとんどなかったが、思い出がつながっているようでうれしい」としみじみ話す。

  コヨシさんの歌を記録した尚一郎さんも、「青い目の人形」には不思議な縁を感じている。小学校教諭だった姉の故・啓子さん(1940年生まれ)は、人形が現存する千厩小、城南小(盛岡市)に勤務し、71年に校内で発見されたシャタカちゃんの話を聞いた記憶もあるという。

  尚一郎さんは「日米親善のために送られたのが人形だったので、子どもたちも『仲良くしよう』と身近に感じられ、思い出に残ったのではないか。戦争中の困難を経て、今も人形が残っていることは素晴らしいこと。平和について考える身近な存在だと思う」と話していた。


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