2015年 2月の天窓


 2015年  2月  28日 ― 遠野駅舎の建て替え ―
 「時刻表の地図を」と聞いたら、懐かしく感じる40〜60代の岩手県人は多いに違いない。たどる指の先の駅は遠野駅。JR釜石線の走る釜石市生まれのシンガーソングライターあんべ光俊さんが76年に発売した「遠野物語」の導入部。
▼盛岡の中学生のころから柳田国男が広めた「遠野物語」の郷に何度も足を運び、免許もマイカーも持たない10代の頃は釜石線で遠野まで行った思い出を持つ。この曲を聴くと、歌詞にある曲がり家や寺ではなく、遠野駅と陸橋から見るホームが頭に浮かぶ
▼遠野のモダンな造りの洋風駅舎は1950年に建てられたものだという。近年では中では語り部を聞けたり、民話の里にふさわしい玄関口のように思えた。65年を経て建物に傷みが目立つようになり、JR東日本の建て替え方針が明らかになった。
▼1月に本紙では開業100年を迎えた仙北町駅を大きく報じたが、開業時の木造駅舎が健在で歴史の語り部になっている。一方で、味わいのある建物が消えていくことに寂しさを禁じ得ない。数年後「なつかしい駅」が心のアルバムにしか残らないかもしれない
▼地元では考える会が組織され、JRに解体の可否を含めた話し合いを求める趣意書を提出した。遠野のためにより良い方向に導かれることを、盛岡にいても願っている。

 2015年  2月  27日 ― サラリーマン川柳 ―
 出勤スタイルの男性たちが、次々とごみを集積所に置いていく
▼よく見掛ける朝の光景である。曜日ごと種別も身に付き「記念日に『今日は何の日?』『燃えるゴミ!』」と、川柳にも詠まれるようなとんちんかんな会話もやらかす。記念日の意味を問われついごみの種類を答えてしまう
▼28回目となる恒例のサラリーマン川柳コンクール(第一生命主催)は、先の句を含む入選百句が主催社サイトで公表され、その中からベスト10句を選ぶ一般投票が同サイトなどで始まっている(来月20日まで)。結果は5月下旬に発表される
▼以下、入選作から幾つかを拾う。職場はサラリーマンの戦場。「会議中パソコン見るなオレを見ろ!」と怒声も飛ぶ。ぬくもりを求めて帰宅するとそこも修羅場。「上司よりきびしい査定が家で待つ」と。昨年話題の官兵衛のもじりも登場する。「小遣いを!わが家の軍師あかんべえ」と夫をあざ笑う
▼救いはしゃべる機能があるお風呂だ。「湧きました妻よりやさしい風呂の声」と。「是非欲しい家庭内での自衛権」にうなずく向きは多かろう。アナ雪主題歌素材もある。ありのままを見せるとの歌詞を転用。「ありのまま結婚してから見せるのよ」は婚活中偽装に注意をとの警句のようで愉快
▼「来世でねめぐり逢ったらほっといて」も意味深だ。

 2015年  2月  26日 ― 政治と金をめぐる問題 ―
 西川公也農相が政治とカネをめぐる問題で責任を取り、23日辞任した。さまざまな疑惑が取りざたされて、衆院予算委員会などで野党から追及を受けていた。
▼辞任で終わりにせず、今後もできるだけの説明をすべきである。西川氏が政治資金問題をめぐり辞任したことについて、海外メディアでも相次いで速報し関心を示しているようだ。環太平洋経済連携協定(TPP)交渉や農協改革に影響が出ると懸念されているからではないか。また、安倍首相の任命責任が追及されて政治の停滞が起きるのではないか。
▼第二次安倍政権下の昨年10月、小渕優子経産相と松島みどり法相が辞任している。また、第3次内閣発足に当たって、江渡聡徳防衛相が政治資金問題を理由に再任を辞退した。いずれも14年9月の内閣改造で起用された閣僚である。
▼西川氏は、国からの補助金の支給が決まった栃木県内の木材加工会社から自らが代表を務める政党支部に300万円の寄付があったことが判明した。さらに補助金交付が決まっていた砂糖の業界団体からも100万円の寄付を受けていた。
▼政治資金規正法に抵触するかどうかは司法の判断になるが、疑惑に対して説明責任を尽くさず、辞任でふたをするようでは、政治の信頼回復が難しくなるばかりであろう。

 2015年  2月  25日 ― 女児誘拐未遂 ―
 13年の暮れに東京武蔵野市で小1女児誘拐未遂事件があった
▼女児は自宅手前で車から降りた男に「お父さんが事故に遭ったよ。病院に行こう」と言われ、強引に車に押し込められる。早く帰宅していた父親がそれを目撃。男を怒鳴りつけ娘に「降りろ!逃げろ!」と叫び駆け寄る
▼彼女は夢中で脱出。男は車で行方をくらます。警視庁に未成年者誘拐容疑で逮捕された46歳の男は「あの子を以前から狙い何度も下見をした」と供述したという。先月15日に群馬県吉岡町で起きた小4女児誘拐未遂事件が、先例によく似ている。まねて学習したのかもしれない
▼ただ1カ月過ぎた今月18日に逮捕された24歳の男は、町民を守るべき交番勤務の巡査だったのだから悲しすぎる。一方、女児は自宅前で車から降りた男に「パパが事故に遭い病院に運ばれた。すぐ行こう」と誘われたがきっぱり拒否。男は車で逃走。女児はすぐ親に電話しうそと分かる
▼こちらも前例に学んだように見えるが、それは学校の防犯学習の成果だった。児童は都職員らが考案した「いかのおすし」と呼ぶ合言葉を学ぶ。「行か(いか)ない・乗(の)らない・(お)大声を出す・(す)ぐ逃げる・知(し)らせる」と。この5項目で身を守る訓練をしている
▼群馬県警もそれを勧めているだけに言葉を失う。

 2015年  2月  24日 ― 修復された東京駅の前で ―
 先日、上京の折に新幹線の発車まで1時間半ほど待ち時間があり、東京駅の周辺を歩いてみた。
▼新装成った東京駅の正面広場には駅舎を写生している5〜6人の男女の姿が見かけられた。天気が良かったこともあって、地べたに座って思い思いの方角かられんが造りの駅舎をスケッチしている。どこかの絵画グループなのか、それとも自然に方々から集まってきているものなのか。大勢の人が通過する前で絵筆を振るうのはかなりの度胸がいるのではないか。思い思いに描かれた東京駅の絵が仕上げられて、作品の展示会が開かれるのが楽しみである。
▼絵筆を握る方よりもカメラのシャッターを押される人の方がはるかに多い。しかし、写真とは違った良さが絵にはあり、ましてや自分が描いた絵とあれば特別なものがある。
▼皇居に通じる東京駅の旧北口にはいろいろな思い出がある。今は丸の内の高層ビルが建て替えられて一層高層化が進んでいる。駅の北口を出た右手に3人ほどの靴磨き屋さんがいて、後ろに数人の客が待っている情景は前と変わっていなかった。
▼以前は駅舎の中にレストランがあって、食事をするが楽しみであったが、今は物販が中心になっている。駅中では全国の駅弁販売が行われていたので、金沢の弁当を買って新幹線に乗り込んだ。

 2015年  2月  23日 ― 黒田投手に思う ―
 東北楽天の誕生以来、他球団の選手出入りには関心が薄れていたが、この動きには引き込まれる
▼米大リーグで昨季まで5年連続2桁勝利を挙げた黒田博樹投手が、昨年末に広島への里帰りを発表。既にチームにも合流し球春に挑む。米国残留なら今季年俸は20億円ともうわさされ、注目を集めていた矢先の帰郷である。彼は一時は迷いもあったというがそれを吹っ切り決断したという
▼世間は年頭から広島の年俸は大リーグの5分の1程度か、などとにぎやかだったが黒田投手自身には、そんな下世話レベルを超えた熱い思いがあったようである。彼の胸中には渡米前に広島の熱烈ファンが見せた、一幕のドラマが深く刻まれていたらしい
▼防御率1・85で最優秀防御率タイトルを獲得、テンポの良い投球でスピードアップ賞にも輝いた06年のこと。シーズン終盤には「黒田が移籍へ」などの見出しが各紙をにぎわす。その時、ファンは残留を願い動く
▼彼らは黒田への思いを託した巨大横断幕を広島市民球場外野席に掲げる。そこには「我々は共に闘って来た 今までもこれからも… 未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる」との太文字が躍っている。これを見て黒田は移籍を1年延ばし応えた
▼今回も帰るなら熱涙ファンの元へと決めたのだろう。

 2015年  2月  22日 ― 自治体の新年度予算 ―
 3月にかけては盛岡広域圏も各市町議会が開かれるが、「おらがまちの予算」が論戦の中心になる。4月に首長選を控えて骨格予算となる町もありそうだが、どのような考えで来年度予算が組まれるのかに注目している。
▼なんと言っても、来年度の重点施策は「地方創生」に置かれるのではないか。人口減少に歯止めをかけるべく、子育て支援やわがまちの魅力おこしにどのような知恵が出てくるかに関心が向く。
▼それぞれの市町村によって、まずは歳入がどの程度見込まれるのか。市町村税、地方交付税、国庫支出金、県支出金がどれだけ入るのか、それに市債などであろうか。
▼これに対し、歳出は義務的経費と、普通建設事業など各市町の行政運営の色が出る政策的経費で大まかに構成される。各市町では来年開催される「いわて国体・スポーツ大会」に向けての準備もあるが、過度な借金は慎むべきであり、選択と集中による事業の重点化が図られる。
▼矢巾町の駅前開発・岩手医大移転事業、紫波町の紫波中央駅前開発、八幡平市の大更駅周辺開発など、これまでの事業を継続して効果を引き出す以外に、それぞれに特色のあるまちづくりの新たな構想が練られているようだ。農林事業には明るい兆しが見えてくるのだろうか。地方から元気を出してもらいたい。

 2015年  2月  21日 ― 手渡し詐欺相次ぐ ―
 特殊詐欺は振り込めや手渡しなど手口も転々。昨年の全国被害総額は5年連続の増で559億円を超え過去最悪。警戒網の中でも衰える気配がない
▼百一歳で他界した詩人の柴田トヨさんは晩年に、詐欺犯に問い掛けるように詠んでいる。「あなたのしていることを知ったら あなたの家族はどう思うかしら」と。わが子を思う母の情愛を利用し欺く非情な彼らは、目を覚ますよう優しく諭す老詩人のシグナルも無視。今も高齢女性を狙う
▼今月9日、北上市の70代女性宅へ北上署員を名乗る男が電話。「あなたが預金している銀行で横領事件があり、安心できないので預金を引き出してください」(要旨)と。女性が引き出して戻ると再び電話。指紋を採るので署員が伺うからお金を預けてほしい。すぐ返しますから、と
▼女性はだまされ約400万円を渡してしまう。似たような手口で10日には奥州市で、14日には花巻市で詐欺被害が発生。3件の被害総額は約1340万円に上る。県内では今月に入り紫波・矢巾のほか県南部を中心に、同じく警察を名乗る不審電話が相次いでいる
▼警察が預金を下ろすよう指示することはあり得ない。その基本を知っていればだまされない。身内や近隣で具体例を語り合い偽りを聞き分ける耳を鍛え、見破る目を光らせ警戒網を張りたい。

 2015年  2月  20日 ― 北陸新幹線ライバルに ―
 2月14日、1カ月後の3月14日に開業する、北陸新幹線長野―金沢間の1番列車「かがやき」の切符が発売開始から、わずか25秒で完売した。東京―金沢間は1番列車が、東京駅発午前6時16分、金沢駅からは東京駅行きが午前6時に発車する。
▼最速で2時間28分で結ばれ、われわれ東北地方同様に、北陸も東京日帰りの経済圏に組み込まれる。金沢駅だけでなく富山駅にも13日から行列が出るほどだった。混乱を避けるため14日朝から申し込みの受付を開始し、インターネットを通じての申し込みも含めて、午前10時以降に購入の可否が判明した。
▼報道によると、金沢駅で13日午後7時から並び1番列車の切符を購入できた金沢市の会社員中川悟さん(29)は、「北陸の記念すべき瞬間の切符を手にしたかった」と満面の笑みだったという。東北新幹線が開通したころのわれわれの感激を思い出す。「雪の立山連峰を車窓からみることができれば最高」と祈っている人もいるとか。
▼当日が晴天になるのかは分からないが、車窓から見る景色が値千金であれば、それだけで観光資源を乗せて走ることになる。盛岡方面からも大宮駅経由で北陸方面に向かうのが便利になる一方、東北の観光の強力なライバルとなりうる。暖かくなったら北陸の花を見に出掛けてみたい。

 2015年  2月  19日 ― 復興担う女子中学生 ―
 13年に陸前高田を訪ねたケネディ駐日米大使が「被災地の人たちがいかに忍耐力と勇気を持って生きているかに気付いた」と語ったことを思い出す
▼現地を訪れる人が一様に抱く感慨だろう。京都在住の僧侶・岸野亮哉氏も支援で高田へ足を運びそれを痛感したことだろう。氏は臨時災害放送高田ラジオFMの「あゆみの和み委員会」という番組にゲスト出演したことがある
▼この番組を月2回のレギュラーで担当するディスクジョッキー(DJ)が、被災した女子中学生だったことにも驚いたろう。はつらつと番組を進めていたのは大坂あゆみさんだ。自宅は津波で流失。家族6人全員は無事で昨春までは仮設住宅で暮らした
▼震災後に子どもを守る国際組織セーブ・ザ・チルドレンの活動に参加。「子どもまちづくりクラブ」のCM制作でFMを訪ねた時にDJを勧められ話す訓練にと引き受けた。期間は中学1年生だった13年夏から約1年間だが、毎回市民に復興を願う元気な声を届けた
▼先月11日にはゲスト出演の縁で、岸野氏が副住職を務める京都の寺院から招かれ「震災後の中学生」と題し講演。被災体験を交え移転で近隣がばらばらになることを心配。復興に大切なのは人と人の絆だと感じたことなどを語った
▼農業高校教師を目指す彼女は今春中学3年生になる。

 2015年  2月  18日 ― 少子化と学校 ―
 2月19日は二十四節気の一つ「雨水(うすい)」であると同時に旧暦の正月である。雨水は、水がぬるみ、草木の発芽を促し、萌芽の兆しが見えてくる季節を表している。
▼寒い日の連続で除雪作業などに苦労したが、どうやら春の兆しが見えてきたように感じられる。早くフキノトウなどが芽を出してほしいと待ち望んでいる。大船渡市碁石海岸の世界の椿館では800種余りのツバキが次々と開花しているようで、その香りも豊かに一足先に春が訪れている。
▼小・中学校は3学期最後の追い込みに入っていることだろう。公立高校入試の志願者状況が、先日発表されているが、盛岡市内の主な高校や他地域の主力な高校を除いて募集定員を応募者が下回っているところが目立った。
▼少子化の影響が現れてきているが、これからの小・中学校、高校の再編成をどのように進めていくのか。文部科学省が先頃、公立小中学校の統廃合に関する手引き案をまとめた。それによると、徒歩、自転車による通学範囲を小学校は4`、中学校は6`、スクールバスの利用は1時間以内として広げている。80年代初めに2700万人だった0│14歳の人口は、15年には1500万人に減少するとか。
▼手引きは手引きとして、子どもの成長を第一に岩手の現況に照らした学校を考えたい。

 2015年  2月  17日 ― 終末時計の針 ―
 地球にも寿命があり、余命は30億年超など諸説がある
▼では地上で暮らす人類は地球最後の日まで運命を共にできるのか。賢いようで愚かな人間。人が人を殺す戦争も繰り返す。大戦末期に広島、長崎に投下され人間社会を地獄化した核兵器は、保有国が増え人類滅亡を早めかねない
▼原爆を投下した米国では直後に憂慮した科学者たちが動く。1947年には科学誌「原子力科学者会報」の表紙に「世界終末時計」の絵が登場。人類滅亡の時を午前0時とし残り時間を象徴的に「7分前」と針で表示したのだ。以後、同誌は折々に委員会を開催し適正な時刻に修正。表示は今も続く
▼旧ソ連が核実験を成功させた49年の針は「3分前」を指す。現在までに最も遠のいたのはソ連邦崩壊の91年で「17分前」。89年からは核の脅威のほか気候変動要因も査定に加えた。核開発の競い合いや大国首脳の核廃絶主張、温暖化進行などが針に反映する
▼12年の「5分前」から3年ぶりに表示された先月は「3分前」に悪化。委員会は核兵器の近代化と保有量の超過などを指摘。各国指導者が破局防止に不熱心と嘆く。来年の「G8サミット」は日本開催だ。政府は会場を広島に決めるといい。唯一の被爆国日本が核廃絶を主導する好機だ
▼時計の針を戻せるような広島発の訴えを聞きたい。

 2015年  2月  16日 ― 首都圏へ急用での苦労 ―
 千葉県船橋市の親戚に不幸があって、急に1泊で東京圏に出掛けることになった。午前9時から葬儀という案内があったものだから、盛岡からは前日に出掛けて東京か船橋周辺で前泊しなければならない。せっかく、新幹線で首都圏に出掛けるのだから、ついでにどこかを観光でもしてくればよいのだが、高齢のせいか要件が終わればすぐに引き返すことばかりが頭に浮かんだ。
▼訃報というものは、いつ起こるのかは予測もつかないから臨機応変に対応しなければならないのだが、いざ当事者になってみれば慌てふためいてしまう。自分の年齢に近い人たちやそれよりも若い人たちに旅立たれるとどうも気分が晴れない。
▼急なことなので、東京圏の宿を取るため、まずはJR東日本の窓口に行った。盛岡駅は年度末を控え、進学・就職、観光旅行の問い合わせで超満員であった。整理札を取ってから窓口に入るまで約2時間の待ち時間であった。それならばと、近くの立ち食いそば屋に行って昼飯をとって帰ってきたら既に順番が通過していた。旅慣れしていないためか、どうも調子が合わない。
▼東京圏の景気が良くなっているのだろうか、船橋や便のよいところのホテルがどこも満室、両国駅西口のホテルの1室が残っていたので、かろうじて確保することができた。

 2015年  2月  15日 ― 今も弁当は母心 ―
 敗戦直後で給食もない時代に学校で食べる弁当のおかずは、梅干しのほかに一品でもあればいい方で、往時の母たちの苦労がしのばれる
▼それに比べ同じく給食が出ない現代の高校生の弁当の多くには、多彩なおかずが添えられている。母たちも食材が豊かだから戦後と違った意味で弁当作りに苦労し、早朝から奮闘している。高校生世代の今風な好みの傾向もある
▼食材を漫画やアニメの主役などの形にし、色彩豊かにした「キャラ弁(キャラクター弁当)」はその筆頭だろう。母たちも応じて頑張ってしまう。八丈島在住のシングルマザーkaоri(かおり)さんが、先月末に出した「今日も嫌がらせ弁当」(三才ブックス社刊)もキャラ弁作り奮闘記だ
▼著者は反抗期の娘が12年春に高校に入学した時に作り始め、卒業に先立ち自宅学習期間に入る前の先月27日までほぼ3年間、食材をカラフルに細工し形にして、のりで太字の言葉も添えたキャラ弁を持たせ続けたのだ
▼本の題名はきついが連綿とブログに書き続けた日々の思いと、そこに添えた弁当の写真を拝見すると深い愛情が伝わってくる。それは本も詳述する
▼先月27日の最終弁当は大型2段の重箱で1段はごちそうの大盛りだ。もう1段には母が娘の3年間を称賛して贈る、手作りの表彰状が収められている。

 2015年  2月  14日 ― 若者の関心を岩手に ―
 戦後、日本は異常な早さで経済成長を遂げ、一躍世界有数の経済大国にのし上がった。しかし、GDP(国内総生産)は遅々として一進一退を繰り返すのが常ではないかと思う。
▼戦後、日本の工業化が著しく進む中で、農村地帯の過疎化が進んでいるのはなぜか。都市と農村の格差が大きくなってきて、そのバランスを失うようになった。経済成長と同時に東京一極集中が進んだのも戦後の日本の姿だ。
▼もはや、農産品などの生産をすることの喜びが極端に薄れてきている。土に生きることの喜びが忘れ去られようとしている。地元の実業高校で学ぶ意義や卒業後の進路などについてもしっかりと確立されていない。以前は、地方の小都市では田畑を耕しながら、近くの工事現場や町工場、地元の商店会などで働く人たちが多かった。
▼だが、もっと自分の足下を見なければならないのではないか。古里の農地や環境を生かすことなく、都会の方に目が向けられているが、地方にいることの優位性を生み出していかなければならない。
▼学卒者の初任給で大都市の企業が人集めを盛んに行っている。どうしても地方の企業が大都市の企業と賃金ではかなわないために、卒業生の大半が都市部に目を向けてしまうのである。岩手に目を向けさせる工夫が必要ではないか。

 2015年  2月  13日 ― ガラパゴス携帯 ―
 東太平洋の赤道直下に、多数の島から成るガラパゴス諸島がある
▼大陸との交流も乏しく島それぞれも孤立。同じ種の生物が島ごとに独自の進化を遂げ別種に見えるものもある。独自性も孤立と表裏でこの取り残されたような状況を専門家は「ガラパゴス現象」と呼ぶ。人間生活の態様のやゆにもこの言葉が用いられる
▼旧来型携帯電話を指す「ガラケー(ガラパゴス携帯)」などは今や流行語だ。電車に乗っても歩道でも前も後ろも左右も、多くの人がスマホ(スマートフォン)を手に操作している。スマホ主流の時代だから旧来型は異流。時代遅れに映るのだろう
▼万般に「少し昔流」を心掛けている当方は、20年ほど前にポケットベルから携帯電話に切り替えた時の進歩感が忘れられなくて、電話とメールの機能だけで満足し今に至っている。旧来型の範囲で機種交換は何度もしたが、身内にも勧められるスマホは機能が多彩すぎて気が進まない
▼最近も「お、ガラケーですね」というやゆは多いが、それには後期高齢ですからと返している。もちろん必要性のある人のスマホへの切り替えには、「良かったですね」と賛意の笑顔を向けている
▼先頃、14年の国内出荷数は前年比でガラケーが5・7%増。スマホ5・3%減との報道があったが仲間が増えているのだろうか。

 2015年  2月  12日 ― 建国記念の日祝う ―
 11日は「建国記念の日」を祝った。国の大事な記念日なのだが、言われてみるとなぜその日なのか分かりにくい。1966(昭和41)年に「国民の祝日」に決められ、翌年から実施されて以来49年を迎えた。
▼日本では1872(明治5)年に皇紀を定め、わが国の紀元を、日本書紀に記す神武天皇即位の年を元年として起算した。記紀伝承で初代天皇即位の年を、西暦の紀元前660年に置いて、皇紀元年と呼んだ。今は用いていないが、「紀元節」と呼ばれ、「祝日」としたのが、2月11日であった。紀元節は第二次世界大戦後の占領によりに廃止されたが戦後21年たってから、「建国記念の日」という名で復活し、祭日として今では国民の暮らしに定着している。
▼そもそも紀元とは歴史上で年を数える際の基準、又は基準となる最初の年であるが、現在は世界的に西暦でイエス誕生の年を元年とし、今年は2015年。イエスは実は紀元前4年には誕生していたとも言われるが、その後の世界史のすう勢で現在の年数で西暦が使われるようになった。
▼一方、イスラム教徒は西暦622年のヒジュラ、マホメット聖遷をイスラム紀元元年としている。一神教の厳しい世界に起きている出来事に対して、元号も西暦も自然に併用しながら、皇紀にちなむ日を祝う国柄だ。

 2015年  2月  11日 ― 福島の現実 ―
 詩人の若松丈太郎氏は福島原発の隣接地域に居住。早い段階から原発の怖さを詠み警告している
▼94年にはチェルノブイリ原発事故地域を視察。4万5千人がわずか2時間で避難先へ消えた事例を同年9月の帰国後に詠み、生活破壊は最悪の事態と警鐘を鳴らした(詩集「原発難民」)。警告は16年半後に現実となり今も福島では約12万人が帰宅できないでいる
▼一方、意識の風化への懸念もある。若松詩集に共感する劇作家の倉本聰氏は現地に通い取材。福島の現実を言葉と旋律で表現した舞台劇「ノクターン夜想曲」を創作。意識を呼び覚まそうとする。先月末の西和賀町銀河ホールをはじめ東北各地で上演が続く
▼氏は福島のための舞台で1人でも傷付けることがないよう神経を使う。福島初訪問の時「がれきと呼ばないでください。被災者の財産なんです」と言われたことも忘れられない。以来自戒し現地の人に台本を見てもらったという
▼氏は海岸で砂を掘り続ける男性に出会う。行方不明の娘さんを探していたのだ。地元紙のある記者は後輩が被災者誘導中に命を落とした時、自分は津波で逃げ惑う老人をカメラに収めようとしたことで、罪悪感にさいなまれるという
▼賠償格差も深刻だ。それらこもごもの現実を聞いたことが「夜想曲」創作の機縁になったという。

 2015年  2月  10日 ― 藩政時代の鷹狩り ―
 滝沢市の「巣子」という地名が、南部藩の鷹(たか)のひなを飼っていたところを意味していると言われている。盛岡市の河南、中津川を渡ったところに「鷹匠小路」というところがあり、そこは鷹師や鷹匠と呼ばれた武士が60人以上住んでいた町であったと言われている。その武士たちは年中、鷹の飼育と調教に明け暮れていたのだろう。藩主も鷹狩りが大好きで鷹を多数飼っていたと言われている。
▼盛岡第三代藩主重直公は年中行事で真冬に2回、大勢の家臣を従えて狩猟に出掛けた。慶安2年(1649)、冬の狩りには家老4人のほか、8千人の家来が動員された。2千人ずつの4班が形成され、のぼりを立てて、岩手山麓の原野に駆り出された。この時は、シカ数百頭、イノシシ5頭、キツネ1頭、野ウサギ1羽の収穫であった。
▼それにつけてもシカがあまりにも多く捕獲されているが、何か理由があったのだろうか。シカが逃げないように泊まりがけで群れを囲んでいたと言われている。8千人の家来たちは雪の原野に火をたいて、組ごとに酒盛りをして鹿鍋で慰労し合ったのではなかろうか。
▼重直公にとっては、盛岡にいるときの狩猟は大きな娯楽になっていたのだろう。藩としては狩猟に合わせて実弾演習並みの訓練をするのが大事であったのだろうか。

 2015年  2月  8日 ― 卓球の《球》が替わる ―
 地元自治会には各種サークルがある。中でも元気なのが高齢者だけの卓球クラブだ。参加資格は60歳以上で性別は問わない。この男女混合スタイルは好評らしい。緊張感の中にも和気あいあいとした雰囲気が生まれているという
▼先週の日曜日には自治会定例の班長会があったが、その席で例会には珍しく先の卓球クラブの会長から活動報告があった。冒頭ではピンポンの良さについて、「打つ、打ち返す、球を拾うという動作が全身運動なので健康にいい」と強調
▼血流が良くなり腰痛や肩こりなどが治ったというお年寄りも多く、これが高齢クラブ活動の何よりの成果だと語り笑わせて本題に移る。会長は日本卓球界のニュースとしてピンポンの球が従来のセルロイド製から、プラスチック製に替わるという重要事項を切り出す
▼それによるとセルロイド製品は発火点が低く、燃えやすいため国際的にも危険品とされているという。卓球界では事故例はないが他分野では保管中製品の火災が多発。国際卓球連盟は安全なプラスチック球への変更を表明。日本卓球協会も先月の全日本選手権から切り替えている
▼セルロイド球は素材が天然で入手が不安定という面も含め、総合判断で打ち切られる。当面は公式試合が対象だが趣味の卓球クラブも球替えは時間の問題なのである。

 2015年  2月  7日 ― 盛岡商工会議所の90周年 ―
 盛岡商工会議所創立90周年記念式典が2日、盛岡市内のホテルで盛大に開催された。
▼1925(大正14)年、金田一国士らによって盛岡商業会議所として設立され、以来長きにわたって経済社会の変化に即応しつつ、地域の産業振興や地域活性化に取り組んできた。ここで90年の歴史を振り返るとともに、次なる100周年に向けて、いかなる活動をやっていくべきか、県内の経済界をけん引していくべき商工会議所としてその任務は大きいものがある。
▼盛岡商工会議所は県央の盛岡市を拠点とした行政・教育・医療や農林商工を中心とする業界で構成されているが、その使命は県都盛岡市に北東北の拠点都市を形成させることであり、恵まれた立地条件をフルに生かすなどしてその実現に立ち向かっていかなければならない。
▼式典では、「これからの日本・岩手の将来について―未来創生」と題する日本創成会議の増田寛也座長の講演や、岩大、県立大、岩手医大の大学学長らのパネルディスカッションが行われた。講演内容は、時の話題となっている地方消滅論とILCの誘致であった。
▼地方消滅論を放置しておけば地方はおろか日本の産業、教育などの崩壊を招く。時代のすう勢に逆リーチをかけて地方の衰退を防ぐ具体策を立てる動くことが重要である。

 2015年  2月  6日 ― 14年度一筆啓上賞 ―
 天守閣が美しい福井・丸岡城には、徳川家康の忠臣本多重次が戦場から妻に送った簡潔な手紙文を刻んだ「一筆啓上碑」がある。「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」と。「火の扱いに注意し嫡男仙千代を大事に育て馬の飼育も頼む」と簡明で短い手紙の範とされる
▼ちなみに仙千代は後に丸岡城主になっている。地元の丸岡文化財団が全国公募する「一筆啓上賞―日本一短い手紙」コンクールはこの史実に由来する。年頭恒例の入賞発表は全国のファンが待つイベントになっている。先頃、テーマを「花」とした第22回14年度入賞作品などが公表された
▼岩手からは大船渡市の古水和子さん(66)が「大震災で行方不明の叔母へ―ガレキの中から拾った球根三年目の春もきれいに咲いてます。今どこで見てますか?」とつづった手紙が佳作に選ばれている
▼以下は他県だが10歳男児は「お母さんへ―病院で一人ねるのはさみしいですね。部屋に花があったね。だれか、きてくれたんだね」と書き、最高賞の大賞(5編)を射止めた。「卒寿間近の母へ―戦地に赴く父へと送った手紙に、金木犀の花粒を忍ばせたとか。お見それしました」(主婦)も大賞に輝く
▼大賞受賞作品には「妻へ―黙って咲いてくれ この花のように!」(66歳)と情景が浮かぶ手紙もある。

 2015年  2月  5日 ― 知る人減る古い地名 ―
 秋田県鹿角市の花輪に所要があり東北道で向かった。岩手県八幡平市の西端の兄畑と、秋田県側の東端、鹿角市湯瀬が県境となっている。
▼藩政時代の鹿角は南部藩で、同じ領内であったから盛岡とのつながりが深い。今日でも鹿角市の花輪高と八幡平市の平舘高には両県からスキー選手の生徒が通っているようだ。
▼東北道を北上していくと、八幡平市の田山付近から積雪量が多くなって、さらに、花輪に入っていくと道路の両側の積雪量が一段と高くなっていく。来年の今頃は2016希望郷いわて国体本大会に先駆けて冬季大会スキー競技が、八幡平市内の会場を中心に開かれる。
▼鹿角市内の病院に入院している知人の見舞いをしたら、同室の方に「どちらですか」と問うと、「八幡平です」という返事が多かった。その人は、岩手の八幡平市ではなくて、鹿角市の八幡平にお住まいの方で、昔の小豆沢(あずきざわ)から来ていらっしゃる方であろう。逆に、当方から「昔の小豆沢ですね」と尋ねると、何の返事もなかった。今の時代、小豆沢などと古い呼び方をする人はいなくなったのだろう。秋田県でも八幡平が定着しているのだろう。今ごろ、古いことを持ち出して申し訳ないと思いつつ、柴平、末広、土深井、十二所といった地名が懐かしく思った。

 2015年  2月  4日 ― 年内立春考 ―
 立春を迎え久しぶりに平安の昔に編まれた「古今和歌集」を開く
▼巻頭には12月に立春が来たことをうたう1首が載っている。「年のうちに春は来にけり一年(ひととせ)を 去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ」(在原元方)と。当時のカレンダーは月の運行を基準にした陰暦だから、一年は約354日となり、年月の経過とともに季節感にずれが出てくる
▼暮れの12月に新年の象徴である立春が来てしまうことがある。古代中国で太陽を基準に季節を知る目安として作られた二十四節気に基づき、平成のきょう4日も立春だが陰暦では12月16日。新春どころか師走のさなかである。もし今も陰暦で暮らしていたなら、平安の歌人が詠んだ先の歌に重なる
▼歌は《まだ年内なのに立春が来ました。春が立ったからには去っていく一年を去年と言ったらいいのか。今年(新年)と言ったらいいのか…》という趣旨であろう。苦笑交じりのつぶやきが聞こえてきそうである
▼太陽暦より年間で約11日少ない陰暦は、ずれの拡大を抑制するため19年間に7回の割合で、同じ月を2度続け1年を13カ月にして調整する。その年をうるう年と呼ぶ。太陽暦主流の今は陰暦が招く師走の立春はないが、気候変動などで春は名のみの風の寒さや積雪の厳しさによるずれは肌身に感じる。

 2015年  2月  3日 ― 節分、立春後も風邪予防を ―
 2月に入り、きょうは節分、あすは立春となる。2月の別称如月(きさらぎ)の語源は「衣更着・生更ぎ」の意であろうが、草木の更生することを指しているといわれている。従って、着物をさらに重ねて着るというのは当たっていないと辞書などには記されている。
▼如月は陰暦の2月の異称であるから、東北地方にとっては「きぬさらぎ」が当てはまるような感じがする。小岩井農場でいわて雪祭りが開催中で、岩洞湖ではワカサギ釣りが最盛期に入っているので、岩手では1月中旬から2月中旬が冬本番と言えるのではないか。
▼如月の行事として、昔から「更衣の別れ」ということが行われてきているようで、そのいわれは、日差しが明るくなってきて、春がすぐそこまで近づいていることを意味しているのだろう。
▼とはいえ、岩手の寒さはこれからが頂点に向かっていくから、1月を風邪を引かずに乗り越えたとして油断をしてはならない。インフルエンザで学級や学校閉鎖されているところもあり、風邪予防にはしばらく万全を期さなければならない。
▼受験生は最後の追い込みで大事な季節に入っている。昔からニンニクなどの強い臭気のあるものが風邪防止に効くと言われている。今は臭いのしないニンニクも市販されているから、試してはどうだろうか。

 2015年  2月  2日 ― モデル施設に遠野風の丘 ―
 旧建設省と自治体の協力で一般道路沿いに食堂や売店、トイレなどを備えた休憩施設「道の駅」が誕生したのは1993年だ。今は国交省管轄だが最新の登録があった昨年10月現在の設置数は、全国で1040カ所に上る(岩手は30カ所)
▼食事と買い物中心の施設に加え「雫石あねっこ」や花巻の「とうわ」のように、温泉併設「道の駅」も全国的に増えている。国交省は「道の駅」の誘客力をはじめ特産品販売や観光案内など地域振興への役割を重視。活性化拠点として予算を付け支援をする制度を創設
▼先月末に当面の対象として特に優れた「全国モデル道の駅」を6カ所、将来有望な「重点道の駅」35カ所、「重点候補道の駅」49カ所を発表した。本県からは牧歌的なたたずまいともてなしが好評の「遠野風の丘」が、「全国モデル」に選ばれた
▼98年開設で近年は年間およそ百万人が利用している。遠来の客だけでなく県民でも何度も訪れる人が少なくない。沿岸被災地救援ボランティアなどへの後方支援拠点としても尽力。沿岸海産物を扱う鮮魚店も設け被災漁民を支えている。こうした復興支援も評価されたという
▼今回の発表では大津波で全壊し休館中の陸前高田「高田松原道の駅」が、重点候補に選ばれたが温かい配慮を感じる。遠からず再建に着手できよう。

 2015年  2月  1日 ― 八幡平市の新庁舎 ―
 昨年暮れに完成したばかりの八幡平市庁舎を見学した。所在地は八幡平市野駄で、合併前の旧松尾村に所在している。合併後は旧西根町、旧安代町との中心に位置しているからだろうか。
▼市庁舎、特にも2階の市長室からは雄大な岩手山がまるごと眺望でき、大自然の中に悠然とそびえている。庁舎正面から岩手山に向かって、水田の真ん中に立派な道路が造られていた。ヘリコプターの発着にも使えるような広さであり、地元の人たちからは「滑走路」と呼ばれているそうだ。
▼1、2階は市役所事務室、3階が市議会となっており、今のところは日本一モダンな新庁舎と言えるのではないか。地下熱を利用した冷暖房設備が最新技術といえるのだろうか。シンプルな地下熱利用の設備はこれからの建築関係では良い見本になっていくのではないかと思った。
▼八幡平市庁舎に併設してJR花輪線の北森駅が供用され、大更や安代方面に鉄道利用で来庁できるよう改善したのはヒットであろう。鉄道利用で通勤する職員にも大変便利になり、環境にやさしい。平舘付近からは西根バイパスが完成し、国道の道の駅付近から新市庁舎付近まで新しい交通体系が出来上がった。岩手国体を前にバイパス、北森駅、新庁舎の3本の矢で、準備OKと言うところだろうか。

2015年 1月の天窓へ