2015年 7月の天窓


 2015年  7月  31日 ― 「絵ことばの季」が始まる ―
 新連載「絵ことばの季」がスタートした。雫石町の詩人の高橋繁さんの作品に、盛岡市の元美術教師の佐藤元子さんの絵を組んだ詩画シリーズ。夏に始まり秋から冬へ、季節感豊かな作品が続く。
▼元教師の高橋さんは盛岡市立高松小、山岸小などの校長を経て、郷里の沢内村教育長に迎えられ、村長、合併後の西和賀町長も務めた。教育から政治へ進み、さらに文学へ転じた。
▼沢内の風土と人材は豊かだ。戦前はプロレタリア文学の古沢元、戦後は「生命村長」の深沢晟雄、雪氷学者の高橋喜平、直木賞作家の高橋克彦もルーツがある。「沢内三千石」の土地柄には文学、政治、科学にまたがる文化があったのだろう。
▼高橋さんに面白い文学観を聞いた。文学鑑賞の態度は「源氏物語ファン」と「平家物語ファン」に分けられるという。みずからの内面を掘り下げ、人間の深層を見極めようとするのは源氏タイプ。派閥的なドラマへ関心を寄せ、教養的に領域を広げたがるのは平家タイプ。
▼高橋さんは大学生のころ、どうしても源氏を面白いと思えなかった。政治家としては、おのずと平家タイプにならざるを得なかっただろう。引退して改めて子どもたちの声に耳を澄ませ、光るフレーズを紡いだ。華麗な王朝絵巻ではないが、自然と人のかれんな絵巻を楽しめる。

 2015年  7月  30日 ― 「読書の夏」を! ―
 季節感がずれて恐縮だが古来「読書の秋」という言い方がある
▼戦後これが各界の提唱で具体化し、昭和22年11月17日から「第1回読書週間」が実施されている。原爆はじめ焼夷弾を用いた空襲による大規模爆撃などで、多くの尊い人命が奪われ街が破壊されたこの国。読書は再起の一つの姿だった
▼「国破れて山河あり」(国は滅びたが山も川も泰然としているではないか)の心意気で、「読書の輪を広げ平和な文化的な日本をつくろう!」と立ち上がった先人の熱意に頭が下がる。翌23年の第2回からは期間も「文化の日」を挟んだ10月27日〜11月9日に改め、伝統行事として現在に至っている
▼さて盛夏の日々。子どもたちの夏休みも佳境に入る。最近は休み中の宿題に「読書感想文」を加えている学校が多い。秋に負けないほど冷房の涼風に恵まれた部屋で読書に励む子もいよう。涼しくゆったりした図書館もある。「読書の夏」にも大いに挑戦してほしい
▼先日、芥川賞を受賞したお笑いの又吉直樹さんが、少年時代から始めた読書はもう約2千冊になるという。新潮社が「〜又吉が愛してやまない20冊」と題した文庫本を出したが太宰治の「ヴィヨンの妻」など、高卒時くらいまでには読了したい名作が並び参考になる
▼内面を磨く意味でも若い時の読書を勧めたい。

 2015年  7月  29日 ― 暑い夏の日の飛行機墜落事故 ―
 学生時代の友人たちと卒業後から数年間、夏休みには旅行してテニスに興じるということが続いた。85年は山梨県の山中湖湖畔にいた。8月13日、午前のテニスから民宿に戻ってくると、とんでもないニュースが流れていた。前夜、羽田空港発のJAL123便が群馬と長野の県境にある御巣鷹に墜落した航空機事故。その日は朝刊を目にしておらず、このとき初めて知った。搭乗者524人のうち520人が犠牲になる大惨事として多くの人の記憶に残る
▼後年、飯塚訓さんが著した「墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便」は、読み進めるのに悲しみと痛み、臭いが伴った。事故当時群馬県警に在籍の飯塚さんは身元確認の責任者。本は遺体全ての身元確認を遂げるまでの当事者の証言。本を開くと、最初にニュースを見たときのことが暑さの記憶とともによみがえる
▼日本各地が猛暑の26日、東京・調布市の住宅街に小型飛行機が墜落、搭乗者2人と住宅にいた1人の3人が犠牲になった。壊れた機体と焼け落ちた住宅、消防による消火活動の現場。御巣鷹山の映像とは大きく異なるものの、飛行機が落ちてくるなどと予想だにしなかった犠牲者やけが人の衝撃を想像すると、惨事、悲劇と思わざるを得ない
▼御巣鷹の惨事から今年で30年。両事故の犠牲者に手を合わせる。

 2015年  7月  28日 ― 多死時代とメイコ流逝く日の支度 ―
 各種提言を続ける日本創生会議が今度は、「高齢者多死時代」到来を予告。備えを促している
▼対応は医療から墓地に至るまで多岐に及ぼうが、まずはわが身の死を直視しその日へ向けた支度意識を持つことが、特に老齢層には大事になろう。本棚から女優の中村メイコさんが5年前に出した「人生の終(しま)いじたく」(青春出版社刊)を取り出し再読
▼支度入門には分かりやすく面白く書いてあるので参考になりそうである。今81歳のメイコさんは2歳半で映画デビュー以来、喜劇女優を基調に歌手もタレントも務めている。これまでにも先輩名優や仲の良い歌手などが旅立ち、自身が76歳になった時に「そろそろ自分も」と出版したのである
▼好評で文庫版も出たがここでは幾つかメイコ流逝く日への支度ぶりを挙げてみる
▼☆長患いせずポックリ逝く☆入院してもマニキュアはする☆葬儀は自宅で昔風に☆焼香はいい男から順に☆葬儀に金を掛けない。戒名も不要☆お棺も一番安価でいい。焼いちゃうのだから☆弔問者の香典も不要☆自宅葬儀後私が心安らぐ職場・東宝撮影所で簡素な告別を
▼具体化が難しい項目もあるが死と向き合う姿勢は学べよう。ほかに美少女だが身長170a近い中1孫に「これ以上伸びるな」と命じた遺言など愉快な逸話も織り込んでいる。

 2015年  7月  27日 ― 季節の移ろいは早いけれど ―
 ナツツバキが散って、早くもオニユリが満開になっている。シュウカイドウの葉が大きくなってきている。間もなく草の陰から虫の鳴く音が聞かれる。
▼先日、知人の弔問で東北自動車道を南下して一関まで行ってきたが、紫波インターや平泉前沢インターチェンジ付近で真っ白なヤマユリが道路の斜面に咲いているのが目に付いた。
▼県内でも最高気温が35度から37度もの高温を記録した日もあり暑さに弱い人たちは弱り切っているところだが、早くも秋の花々が咲き始めている。キキョウなどお盆花が咲き始めて月遅れのお盆が近づいている。
▼先週は、盛岡から釜石道を経て釜石、大槌、山田、宮古方面の災害復興状況を巡視してきた。3・11の大災害から既に4年4カ月を経ているのだが、部門ごとの震災復興状況は春の状況とさほど変わっていなかった。これでは10年かけても復興は途中段階と言わねばならないものになりそうだ。被災地のかさ上げが盛んになされているのが実態で、市街地の復興がかなり遅れている。いまだ、手が付けられていないといった状況の所も見受けられた。
▼学校は夏休みに入り、お盆には里帰りされる人たちも多いだろう。仮設住宅での生活が拠り所になっていて、客を自宅に招くこともできない。生活面の一日も早い復興を望みたい。

 2015年  7月  26日 ― 大岡信さんの「折々のうた」 ―
 詩人で第11代日本ペンクラブ会長も務めた大岡信さん(84)は、朝日新聞第一面に約29年をかけて「折々のうた」を連載した人として知られる
▼出身地の静岡県三島には「大岡信ことば館」がある。館内では先月末まで3カ月間「『折々のうた』おもちかえり展」を催していた。内容を報道で見たが会場には「折々のうた」365日分を展示。好きな日付分を伝えるとコピーのお持ち帰りができるという企画だ
▼約29年で書き上げた6762回に及ぶ膨大な原稿の中から、大岡さん自身が365日分を選んで再構成し「折々のうた 三六五日」と題し02年に岩波書店から出版している。会場の展示はこれを元にしていた
▼365本に絞り込むことは大岡さんにとっては昔の苦闘の日を、半面では容易に成し得ない偉業の日々を追想しつつの作業でもあったのだろう。季節に合った引用詩句を平易に鋭く解説するこのコラムは、日本中にファンを広げ当方も加わり、切り抜きもした
▼後に岩波新書版全19巻が刊行されこれも机上にそろえ熟読した。今もたまに口ずさむ作品の掲出文を挙げると、筆頭は新聞人で歌人の土岐善麿が反戦の怒りをぶつけた歌になる。「遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし」と。武闘主義を貫く国対国は共に命を滅ぼす道に陥る。

 2015年  7月  25日 ― 甲子園岩手代表は花巻東 ―
 10日に開幕した全国高校野球岩手大会は24日、私学強豪同士による決勝戦が行われ、花巻東が一関学院を下し2年ぶり8度目の優勝で甲子園切符を手にした。決勝を戦った両校ナインをたたえたい
▼毎年担当記者を編成し県大会の試合を取材しているが、頭を悩ませるのが取材する試合の選択。盛岡地域校の全試合を取材したいが、限られた記者で泣く泣く見送らなければならない試合があり、特に前半の日程に多い
▼今年も勝ち上がるだろうからと初戦の取材を見送って結果的に1試合も取材できないチームが出てしまい、関係者の方には申し訳なく思う
▼一方で何度も見出しの躍る上位進出常連校以外に、今年は盛岡北の名前が何度も紙面をにぎわせ盛岡地域の人たちをわかせた。初の4強進出、準決勝でも第1シード一関学院に一時は勝利かという戦いは「歴史を塗り替える」を有言実行したと拍手を送る。初戦敗退ながら、2年ぶりに雫石の校名を記事にできたのはうれしい。来年も単独校で出場できるよう願っている
▼10日の本欄で今年が高校野球が始まって100年と触れたが、岩手大会に出場した県内全チームの全選手は、記念すべき年に名を刻めためぐり合わせを誇りにしてほしい。そして花巻東には全国大会で節目の年の鮮明な記憶となる活躍を期待したい。

 2015年  7月  24日 ― 集団自衛、参院審議も注目 ―
 安保関連法案は強行採決で早々と衆院を通過。審議の舞台は参院に移った
▼衆院では「丁寧に説明している」という釈明が目立った安倍総理も、衆院採決後にちらほら伝わる世論調査が厳しいせいか低姿勢になる。「国民の皆さまの理解が進んでいないようなので、さらに丁寧に説明していきたい」とも述べている
▼これには国民からの異論も噴き出す。「国会の審議内容を良く理解しているだけではなく、最近はネットでも詳しい説明を読める。国民も一部には意味不明だと言う方もいようが、多くはこの法案の趣旨をよく理解している」との声もよく聞く
▼その上で「この法案には国と国の戦争を前提にするという、現行憲法に違背する大問題がある。しかも条件次第では自衛隊が出動することになる。極めて危険なものを感じる」と手厳しい。低支持率の背景かも。「解釈改憲は邪道。堂々と賛意を広げ憲法が定める手順通りに改憲せよ」との指摘も多い
▼安倍総理作の集団的自衛権の例えがある。生意気だから殴ってやろうと、不良(武装国)が目を付けた安倍(日本)。友達の麻生(米国)はケンカが強い。不良3人が麻生を襲い安倍が麻生を守る。これを集団的自衛というと。これも紛争国間に武力介入の恐れがある
▼しばし冷静に参院審議の突っ込みを見極めたい。

 2015年  7月  23日 ― いじめは一生の負債 ―
 同窓会の幹事は大変だ。中学のときは人気者だったのに、なぜか来たがらないヤツもいて、「なんでよ」と聞くと、モゴモゴしている。好きだった女の子と、卒業後に恥ずかしい思い出がある…というくらいならかわいいが、うちの学校に限らず、今も気まずい記憶にさいなまれ、出席できない人がいるかもしれない。
▼自分が中学生だった1978、9年ころにはもうテレビゲーム漬けの子が現れ、校内暴力、いじめなど現代教育のうみが出始めていた。ツッパリのA君が、クラスで最もおとなしいB君をいじめぬいていた光景を思い出す。今になってA君に言うべきことはない。やはり彼は卒業後は大変な人生だったようだ。
▼自分が手を下したわけでなかったが、B君には謝りたかった。学級委員だったのに、結局止めに入らず黙って見ていた。B君の怒りは当事者のA君はもちろん、傍観者の自分にも向けられていたに違いない。
▼そんなことがあれば、折に触れて一生心がうずく。ストレスを晴らすために一時の感情に任せて人を傷つければ、結局それはわが身に返り、周りの心も暗くする。▼B君は卒業後、立派に働いていたが、消息をたずねると10年ほど前に体を壊して他界していた。同窓会で酌み交わしながら、「あのときごめん」とは言えずじまいになった。

 2015年  7月  22日 ― 二千円札の運命 ―
 21世紀が近くミレニアム(千年紀)などと騒がれた2000年のこと
▼7月にはこの国に一人の子が生まれ親族も「いい子が生まれた。周囲からも『お顔にも気品を感じますよ』とよくいわれます」と鼻高々で大はしゃぎ。だがそれも当座だけで間もなくその子は世間からも、役立たずとの扱いを受け家の奥の金庫に閉じこもってしまう
▼既に察知された方もおありかと思うが生まれたのは人の子ではない。この国初の「2千円札」の誕生である。同年5月に急逝した小渕恵三総理の尽力で、沖縄県で第26回主要国首脳会議(サミット)が同年7月に開催。新札はこのサミットとミレニアムの意義を留めようと発案・発行されたのである
▼新札表面には沖縄が誇る首里城守礼門が、裏面には源氏物語絵巻「鈴虫」の絵図と詞書(ことばがき)や、作者・紫式部の肖像などがそれぞれ刷り込まれている。言うまでもないが先に鼻高々の親族と書いたのは、新札を生んだ政府首脳や日本銀行関係者のことだ
▼誕生は称賛されたのだが2千円札は現場では使い勝手が悪く、使える自販機も沖縄以外では普及が遅く流通は低迷。日銀も03年度後は新札製造をしていない。当方などは歓迎され生まれたのにと気の毒になり数枚は常備。新札の由来を話しつつ孫たちへの本代などに使っている。

 2015年  7月  21日 ― もうすぐ夏休み ―
 16日夜から17日早朝にかけて強力な台風11号が本州の四国・中国など西日本を横断して日本海に抜けていった。台風下、紀伊半島の熊野川が氾濫して流域などでは大被害となった。
▼例年であれば台風は二百十日を想定させるものであったが、夏の入り口に襲来するとは異常に早まっている。東北は台風路線からは外れて前線の影響で久方ぶりの雨模様となった。盛岡市郊外の水田では水不足でひび割れしているところがあった。水不足に悩んでいたところへ水稲や野菜を幾分潤してくれたようだ。
▼このところ、異常な高温が続いて県内でも高齢者などに熱中症による死者が出る日もあった。熱中症は高温のみならず、湿度の影響もあるようなので、双方の対策をしなければならない。水分補給できるようにポットを手元に置くことや部屋に風を入れるなどの温度調節をこまめにやらなければならない。
▼盛岡地方の小学校などでは24日ごろから夏休みに入るところが多いようだ。盛岡でも夕刻になると盛岡さんさ踊り本番を前に練習が盛んになっている。
▼夏祭りに参加するなどして、夏休み中の思い出をつくるのも良い。近くの山に登るとか、海や川を知り、自然に親しむのも大事なことであろう。ただ、交通事故や海・川・山などでの事故防止には万全を期してほしい。

 2015年  7月  20日 ― 羽田さん、又吉さんの芥川賞 ―
 先ごろ発表された芥川賞は、会社員から専業作家に転じた羽田圭介さん(29)の「スクラップ・アンド・ビルド」と、お笑い芸人の又吉直樹さん(35)の「火花」のダブル受賞となった
▼羽田さんは17歳の時に兄弟間の葛藤を描いた「黒冷水」(河出書房新社)で文藝賞を受賞。多数の話題作もあり若い世代を中心にファンを広げている
▼一方又吉さんの「火花」は受賞前から大ブレーク。少年時代から読書家で2千冊は読んだなど身辺情報も伝わる。中2の時に級友がお前にうってつけだと勧めたのが、太宰治の「人間失格」だ。夢中で読み「本当だ。俺のことを書いている」と感銘。以来太宰にはまる
▼ファンからは又吉さんの長髪、無口のイメージが読書と思索の深さに重なり見直したとの声も出る。作品は文字通り深い思索がつむぐように、丁寧に細やかに淡々とつづられている。お笑いネタに読めるようなくだりもある
▼物語は主人公の若手芸人が天才肌の先輩芸人を師と仰ぎ、2人が売れる芸を追究しながら、お笑いにも漫談道ともいうべき道があるとし語り合いそこに迫っていく。2人は熱海の花火大会余興で出会い酒席を共にしたのだ。花火の設定は題名の火花に通じ道に迫る会話も火花を散らす
▼双方私生活上の波乱も織り込み結びには再び熱海が舞台になる。

 2015年  7月  19日 ― ホタル飛び交う時期 ―
 「ホタル前線」が北上しているようだ。沖縄が梅雨入りの頃にホタル前線が始まると言われているが、北東北も梅雨入りして蒸し暑い日が続いているから、本来ならば絶好のホタル日和といえる。
▼しかし、今の日本は特定のところでしかホタルに出合うことができない。終戦直後のことだが、ホタルを2、3匹捕まえてきて、蚊帳の中に飛ばした経験がある。ホタルが蚊帳の中の蚊を食べるのではないかと思ったのは大きな間違いであった。
▼餌のカワニナという巻き貝が、川や湖沼といった水辺に生息しなくなっているという。農薬を多く使ったひと頃の環境破壊などで育ちにくくなっているのが原因のようだ。またホタルグサはどうだろうか。
▼ホタルの幼虫は水生で肉食、発光するものがあるが、成虫になったホタルは谷間のきれいな水しか飲まず、何も食べないのだそうだ。ホタルはめっぽう光に弱いことも知らなかった。車のライトや懐中電灯によってホタルは生態に悪影響を及ぼす。そんなことは一切知らない時代に少年時代を過ごしたが、ホタルはどこでも見られた。
▼わが国にはゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタルなどの種類がある。前者2種は古来からホタル狩りの対象となり、飼養もされている。道端のホタルブクロは今が盛りと咲いている。

 2015年  7月  18日 ― 出会いの不思議 ―
 文化庁長官も務め著名な心理学者だった故河合隼雄氏に、「『出会い』の不思議」と題する随筆集がある
▼そこには種々な出会いが描かれる。T章は「言葉との出会い」で、「おもしろがることで伝染する」とか「みんな途中で死ぬのです」とか、「老いのうぶ声」など読みたくなるような小見出しが並んでいる
▼以下、読んでのお楽しみのために詳述は省くがU章は「人との出会い」V章は「本との出会い」W章「子どものころとの出会い」X章「新しい家族との出会い」Y章が「こころの不思議との出会い」。これをテーマごとに6分冊とした文庫版を創元社から今年3月に同時刊行した
▼作品はいずれも平易な表現で示唆に富む。ところで出会いの不思議を読みふけり感銘していた時のこと。ちらっと目を向けた米フロリダ発のニュースに驚く。同級生同士が思わぬ形で再会したというのだ。場所は裁判所の法廷
▼同じ中学校の級友男女2人が男子は強盗などの罪を問われる立場で、一方は尋問する女性裁判官として再会したのである。「ここで会うのは残念。どうしているかと思っていました」という彼女。彼は泣き崩れる。彼女は周囲に聞こえる声で彼が学校一素晴らしい生徒だったことを話す
▼周囲の予感通りに彼が改心すれば、これも実に不思議な出会いとなろう。

 2015年  7月  17日 ― 安保関連法案が衆院通過 ―
 寝苦しい夜がある夏真っ盛り。怖い話で少しでも涼しくと怪談話も旬の時期だろうか。日本の怖い話の一つが平将門。平安時代中期の武将は朝廷に反旗を翻し平将門の乱を起こした。関東で独立政権を作ったが討ち取られ京でさらし首にされた。その首が関東に飛んだという伝えが将門の首塚で、東京大手町のビル街に残される首塚が最も知られている
▼怨霊、たたりと語られる事象で取り壊しを免れたとされる一方で関東・東京では将門の英雄信仰もある。左遷や不遇に置かれたサラリーマンが回復を願をかけることなどもあるらしい
▼安保関連法案が16日、自民、公明などの賛成で衆院を通過した。安倍首相が国民の理解が進んでいないという認識を持ちながらの採決は、順番が逆だろうと思わざるを得ない。米国で安倍首相が法案の成立を先に表明したのもあべこべではなかったか
▼昨年の衆院解散総選挙は主に消費税再増税の延期やアベノミクスへの評価を問うものだったが、大義なき解散とも形容された。与党の勝利は確実で首相の首も安泰とみられる中、必要ない選挙とも言われた。ところが世論の高まっている今回の法案に関しては、信を問う話も出ていない。首相は首を守るためにも法案成立へと進み、あえて首が飛ぶかもしれない怖い戦はしないのだろう。

 2015年  7月  16日 ― ウニの旬に寄せたすし談義 ―
 ウニが旬の時節だが、さくらももこ原作の漫画「ちびまる子ちゃん」に、まる子のおじいちゃんが俳句を作る場面がある
▼すし店でウニを頼むまる子。祖父は詠む。「ウニなんてわしもたべたいだけどシメサバ」と。最近の回転ずしでも孫は祖父母らのおごりだからと、ウニや本マグロやアワビなど、百円ずしの看板を忘れたような値段の皿を取り寄せ平らげていく
▼おごる方はイカやシメサバなど百円皿を口に運び、まる子のおじいちゃんのように本音を押し殺してしまう。すし大好き人間だったわが家の祖父がこの漫画そっくりだったので、在りし日をしのびつつも笑いがこぼれた。多い時には孫が9人。回転ずしもない時代だったから痛い散財だったろう
▼当方も祖父の血を継いだらしい。半世紀以上も前に社会人になって以来人に「趣味は何ですか」と問われると、「すしを食べること」と答えるほどのすし好きとなる。昨今は孫たちにもおごる機会が多くなっている
▼近年は皆が好むウニについては、出荷期に洋野町の知人に発注を託して取り寄せている。今年は既に先週末にイガ付きウニが届いた。自家製のウニずしも近在の孫たちが来て、たちまち食べ尽くすことだろう
▼でも届いた日に白いごはんにムラサキウニをふわりと載せ、美味を堪能したので悔いはない。

 2015年  7月  15日 ― 日独の戦後70年に ―
 「過去に目を閉ざすものは、現在にも目を閉ざすことになる」。この言葉はバイツゼッカー元ドイツ大統領が戦後40年の節目に当たる1985年5月8日、当時の西ドイツ連邦議会で演説した言葉だった。
▼この考えはドイツ人の中で共有されている。戦後50年の節目に当たる95年に、同氏は日本での記念講演で「過去を否定する人は過去を繰り返す危険を冒している」と訴え、日本人に強い感銘を与えた。
▼特に演説の最後のところで、「若い人たちにお願いしたい。他人への敵意や増悪に駆り立てられてはならない。対立ではなく、互いに手を取り合って生きていくことを学んで欲しい。自由を重んじよう。平和のために力を尽くそう。正義を自らの支えとしよう」と述べて、大きな感動を与えた。
▼ドイツではナチスの強制収容所を保存・公開したり、ポーランド、フランスと共通の歴史教科書を編さんしたりしている。「かつて起きたことについて、若者に責任はない。しかしその後の歴史で生じたことに対しては責任がある。年長者は過去を心に刻んで、何故決定的に重要なのか、若者が理解出来るよう手助けしなければならない」と述べている。
▼今年は戦後70年の節目にあたり、ドイツと共通の歴史的経緯を持つ日本人として胸に手を当ててよく考えてみよう。

 2015年  7月  14日 ― 米探査機が今夜冥王星接近 ―
 昔は太陽系惑星を「水・金・地・火・木・土・天・海・冥」と、太陽に近い方から惑星の頭の文字を並べ暗記したものである
▼だが天体観測が進み一時的に一部順位が入れ替わることも分かり、後述のように冥王星が惑星から外れることになったので、この暗記法も過去のものになろう。惑星の外側には太陽系外縁天体がたくさんあり、冥王星より規模の大きい天体が存在することも判明
▼06年には惑星の定義が見直され「太陽から9番目の惑星」だった冥王星は、惑星から除外される。位置付けは多くの外縁天体の代表例とし、準惑星と区分されたが小惑星一覧への記載となる。それでも1930年に発見されて以降、太陽から離れた冥王星探索に挑む研究者らの熱い動きが続く
▼地球からの距離は約50億`だ。米航空宇宙局(NASA)は既に06年初めに冥王星を目指し、無人探査機「ニューホライズンズ」を打ち上げている。以来9年半。現在は時速約5万`の速さで順調に飛行中である
▼実は日本時間のきょう20時50分には、冥王星へあと約1万2千500`の位置まで最接近するという。探査機は冥王星地表を撮影していて5日前には、地表右下に白いハートマークが浮かぶようなカラー画像がNASAに届いた
▼地形や大気成分など今後の観測データも楽しみである。

 2015年  7月  12日 ― 啄木記念館の宮崎郁雨展 ―
 盛岡市渋民の玉山総合事務所での会議に出てから、石川啄木記念館に立ち寄り、周辺を少し歩いてみた。旧玉山村の役場庁舎は岩手山を真西にのぞみ、道路の北側には渋民公園啄木歌碑があって、風光明媚(めいび)で静かなところである。
▼北上川が静かに流れていて、鶴飼橋もすぐ近くに架かっている。姫神ホール、宝徳寺、愛宕山・生命の森など啄木ゆかりの建物や施設がすぐ近くにあって環境的に一大観光地になっている。
▼来年は「石川啄木生誕130年」を迎える。石川啄木記念館では、第3回企画展「宮崎郁雨と啄木」が開催されていた。郁雨は新潟県の生まれ、本名宮崎大四郎だが、幼年にして父親の事業失敗で家族丸ごと函館に引っ越した。郁雨の父は函館においてみそしょうゆ醸造で成功して、啄木と啄木一家を物心両面から支えた。郁雨は啄木の1級年上であるが、「啄木を世に出すために生まれてきた人」と郁雨の親友の医者であった阿部たつお氏が述べている。
▼まさに「真の男」として日本友情史上の模範的行動として厚い友情が語り継がれている。郁雨は78年の生涯を閉じるのだが、今回の企画展では、「コラム、郁雨との義絶」として、啄木伝記上のとされている親友郁雨との絶交事件を掘り下げている。特別展は9月6日まで開催されている。

 2015年  7月  11日 ― 70年前の疎開を思う ―
 「戦後70年」という活字を毎日見ているせいか、敗戦直前に3カ月半ほど山奥に家族で疎開していたことが、まざまざとよみがえってくる
▼当時は父の仕事の関係で北関東の水戸市近郊に居住。日立製作所の大きな工場が近くにあったため、艦砲射撃や空襲による焼夷弾が激しくなり、生き残るためには疎開しかなかったのだ。当方は6歳だったが同年齢の近所のK君の母が、焼夷弾を浴び全身火だるまのようになって亡くなる場面も目撃
▼大人たちも次はわが身との恐怖で弔う余裕もなく、それぞれ家族ごとに疎開を急いだのである。K君は父と馬車で母の遺体を抱くようにして親類宅に向かった。わが家は38歳の父が前年に戦地に召集され不在。祖父が引き祖母が後ろから押すリヤカーに病弱の母と子どもらが乗り出発した
▼休み休み長時間をかけ着いた村は、空襲とも無縁の山奥で小川が流れ水田が広がる別天地だった。そこで空き家を借り終戦を待つことになる。ただ夜になるとおばちゃんの最期の姿と、K君が目に浮かび眠れない
▼祖母が「おばちゃん、かわいそうにね。『天国では安らかに眠ってね』と手を合わせて上げるといいよ」と言い、母が「戦争が終わったら、K君を皆で守ってあげようね。おばちゃんも一番安心するからね」と語ったせりふまでも思い出す。

 2015年  7月  10日 ― 高校野球100年の夏に ―
 駒大苫小牧の田中将大投手、東北のダルビッシュ有投手、横浜の松坂大輔投手、星陵の松井秀喜元選手。現役あるいは元メジャーリーガーが全国区になるきっかけは甲子園だった。高校野球大会が始まって100年。数々の名選手が去来し、数え切れない名勝負を生んできた。母校の出場は名勝負に勝る思い出だろう
▼名勝負は有名無名の数多くの人々によって織り成された。プロにはまったく見向きもしない高校野球ファンも数多く、それぞれの方の記憶に残る試合は千差万別だろう
▼プロを目指す選手から野球は高校が最後と決めている選手もいる。例えば、松井選手を敬遠した明徳義塾の投手はプロにはならなかったが今は指導者という。松坂投手の横浜と延長17回の激闘を繰り広げたPL学園で7回から救援登板した投手は民放アナウンサーになった
▼甲子園では横浜・渡辺、帝京・前田、PL学園・中村、取手二と常総学院の木内といった名将監督も思い浮かぶ。優勝など試合実績から付けられたが、球児の人間的な成長を支えてこその高校野球監督であることを忘れてはなるまい
▼甲子園を目指す岩手大会は10日開幕する。勝負だから優勝目標を掲げ全力で臨むのは当然で、その球児の姿は清々しい。その中から勝ち負けを超越した宝物を全選手につかんでほしい。

 2015年  7月  9日 ― 宇宙の仕事は真剣勝負 ―
 近くの幼稚園から「ささのは さらさら〜」と、童謡「たなばたさま」を歌う声が聞こえ始めたのは先月下旬
▼それが七夕をすぎても園庭で遊ぶ子らがハミングしている。調べの良さがそうさせるのだろう。七夕には織り姫とひこ星が年に1度だけ出会えるという物語もあり、願い事を書いた短冊をササ竹に下げる風習もある
▼夢とロマンがあふれるような行事である。昔はそれ一色だったが宇宙衛星が周回する昨今は、子どもたちの意識にも変化が見られる。男女を問わず短冊に「宇宙飛行士になりたい」と書く子もいる。ロマンは夢見るものから実現目標になりつつある
▼大胆でいいことだが慎重な見極めも必要だろう。米ロはじめ日本、カナダ、欧州機関などが協力し実験などを行う飛行士らも常駐。地球を1日に約16周する国際宇宙ステーション(ISS)を、地上約400`の軌道上に完成させたのは11年7月だ
▼4年経過しただけだから課題も多い。先月28日には常駐者の食料など補給物資搬送の米民間ロケットが打ち上げ後に爆発。補給はこれで3回連続失敗。常駐も危ぶまれたが5日にロシアの無人補給機がISSに無事到達。関係者は胸をなでおろしたという。夢見る子らが青ざめるような経緯だが、宇宙探索の仕事は真剣勝負であることを改めて知らされる。

 2015年  7月  8日 ― なでしこ次はリオ五輪で ―
 準優勝は素晴らしい成績なのに、サッカーのように決勝戦で決まる競技は最後の試合で敗者となる非情さを伴う。サッカー女子W杯連覇を目指した日本は準決勝まで全6試合に勝利しながら、決勝で喫した1敗で準優勝となった
▼決勝戦、4年前の雪辱を期す米国は開始から勝利への執念が強かった。変化を付けたセットプレーで挙げた先制点は、試合に入り切れていない日本の隙を突いた。浮き足だった日本からたて続けに4点を奪い、見る方もぼうぜんとする16分だった
▼前回の初優勝後、ロンドン五輪から主将を任された宮間あや選手は試合後「後悔はないが勝たせられなかったのが悔しい」と語り責任感の強さが伝わる。岩清水梓選手は4失点後、前半途中で退きベンチで涙が止まらなかった。試合後も涙に暮れた岩清水選手は失点の責任を一人で背負う思いで悔いていたのだろうが、彼女やイレブンの活躍をたたえたい
▼「悔」は心が暗い、悔いることを表す。しかし、悔やしい(口惜しい)となると前を向く意味が加わってくる。米国は前回決勝で日本に敗れた悔しさをばねにロンドン五輪、そして今回の決勝で日本を下して優勝した。なでしこよ、悔いは捨て、悔しさを胸に刻み、前へ進もう。4年待たずとも来年には、悔しさを晴らす五輪の舞台がやってくる。

 2015年  7月  7日 ― 新3桁電話運用始まる ―
 110番や119番など緊急時に掛ける3桁の電話には、何度もお世話になっている
▼深夜の0時過ぎに住宅団地内の道路を数台のバイクが、空吹かしをして爆音を上げながら走り回った時も、眠れず困り果てて家々から出てきた皆さんと相談。110番に電話し事情を説明すると、数分後にはパトカーと白バイが到着。警官がバイクの走行を制止してリーダーの少年らを厳重注意する
▼「これは犯罪行為だよ。もし繰り返したら次回は検挙する」と。以前から住民を悩ませてきたこの暴走はこの夜を機に、姿を消し団地の夜に静けさが戻ったのである。町内の119番通報による救急車出動も、急病や高齢者転倒などで今も断続的にお願いしている
▼このありがたい3桁電話が今月1日から新たに2種類が運用を開始した。一つは「188番」で商品売買や修理工事契約などのトラブル。購入製品の事故などの相談に応じる消費者ホットラインにつながる電話だ。「いやや(188)」の語呂合わせで覚えやすい番号にしたという
▼二つ目は「189番」で幼児虐待の通報や育児相談の窓口になり、児童相談所の全国共通ダイヤルとなる。「189」は「いち早く」と重ね覚えやすくしている。以上の新2種類は旧来の10桁を改めたものだが、当面は新旧を併用していくという。

 2015年  7月  6日 ― 国土の環境は教育から ―
 7日は二十四節気の小暑(しょうしょ)であり、七夕でもある。旧暦ではまだ5月中旬なわけだが、暑さは日増しに加わってきて、26日の大暑(たいしょ)の頃には暑さのピークを迎える。高校野球県大会が始まる頃から本格的な夏に入っていくのだろうか。
▼小中学校、高校などでは夏休み休暇を前にして授業に熱が入ってきているのではないか。昼時、近くのコンビニ店に行きすがら、小学校の校庭の周りを歩いているが、学校では校庭の片隅に学年ごと、また、クラスごとに花や野菜などの栽培を行っている。プランターにミニトマトを栽培しているクラス、そして、ジャガイモ、枝豆、トウモロコシの地植えをされているクラス、また、ひまわりなどの花を植えているクラスなどがあるようだ。
▼時折、通り雨が降ってその野菜や花たちは気持ちよさそうに水分を吸収している時もあった。また、日照りの日は水分不足でぐったりとしている日もあった。ジャガイモの花が咲き、ミニトマトの赤い実が下の枝に実り始めてくると、いよいよ成果が表れてくる。
▼学校によっては水稲の栽培を行っているところもあろう。学童たちがそれぞれのグループごとに植栽をして観察を行っている。校庭の横の道を通りながらほほえんでいるところである。国土の環境保全は教育からと思う。

 2015年  7月  5日 ― 芭蕉が詠む五月雨の情趣 ―
 梅雨期でもある五月雨の時節には、高校時代の国語授業のひとこまを思い出す
▼先生は講義の途中でよくクイズも出し、場を和ませ人気があった。黒板には芭蕉の句「五月雨を集めて早し最上川」を大きな字で書く。最上川が五月雨をかき集めるようにして豪勢な速さで流れていく。そんな風景だよね、と皆に語り掛ける
▼「そこでクイズ」と先生はにこにこしながら問い掛ける。芭蕉は「五月雨を集めて《早し》」のところに初めは別な言葉を入れていたという。《》にはどんな言葉を書いていたか。教室はシーンとする。先生が《涼し》なんだよと教える
▼ではそれをなぜ「早し」に改めたか。「はい」と男子が手を上げ「それは最初は遠くから眺めたから涼しく感じ、後はゴォーと音を立てる急流を現場で見たからだと思います」と答える。その通り、と先生は拍手する
▼芭蕉は当初は五月雨を集めて流れる最上川を遠くで見て涼感を詠み、その後増水した激流を船で下り流れの速さを体感。そこで言葉を改めたのだという。芭蕉の五月雨詠には平泉の金色堂をたたえる「五月雨の降りのこしてや光堂」の名句もある
▼平泉文化の栄華を伝え今も光堂が輝いているのは、被害を広げる五月雨がここは遠慮しようと降雨を思いとどまったからだろうか、と感慨深く詠んでいる。

 2015年  7月  4日 ― 新国立競技場の巨額整備費 ―
 取り壊された国立競技場に初めて入ったのは83年1月15日、新日鉄釜石ラグビー部が5連覇を達成した日本選手権。釜石出身の同級生らと釜石を応援に行き、大漁旗を振らせてもらった。同志社大相手に王者釜石が勝利した
▼初の国立競技場はこの上ない思い出の一戦だったと今も幸せに思う。以後、行くのはいつもスタンドだったが、サッカー釜本邦茂さんの引退試合など、サッカーとラグビーの試合に興奮した。国立という舞台にふさわしいカードが組まれていた
▼東日本大震災では釜石市も甚大な被害を受け、被害の大きかった地域ほど、復旧・復興の歩みは険しく道半ばだ。そこに政府は16年度以降の事業の一部に地元負担の伴う復興支援の枠組みを決めた。5年間で6兆5千億円程度、被災3県の地元負担は220億円と試算される。最大3・3%でも地元には小さな額ではない
▼国立競技場が解体され、新競技場を造る事業が二転三転している。建設費がコンペ前の段階で1300億円というのも巨額だったが、基本設計時は1625億円と膨らみ、一時3000億円を超え、ここに来て2520億円規模で整備する方針に帰結しそうだ。財源は違うにしても、時期が重なっただけに220億円の地方負担を競技場の整備費抑制で生み出せないかと考えたりもする。

 2015年  7月  3日 ― 倉本聰氏の海抜ゼロ論 ―
 「海抜ゼロの発想」を大事にしているのは、脚本家の倉本聰さんだ。裾野を加えて語ることもある。山の裾野は下がるほど広がる。人間社会に当てはめれば裾野は庶民層の広がりでゼロに近い地域にも描きたくなる人が多いという
▼「海抜ゼロの発想」には倉本さんと娘さん夫婦の便利と要領を再考させる逸話がある。ある初夏の日に夫婦が父に「富士山に登ってきた」と言う。父は「標高三七七六bを全部自分の足で登ったのか」と問う。夫婦は「五合目の標高二四〇〇bまではバスで登った」と言う
▼父は「三七七六bから二四〇〇bを引いた分しか登ってないじゃないか」と指摘。夫婦は黙って帰ってしまう。その夏の終わりに夫婦から電話が入る。「一合目から五合目まで登ったから全部つながった」と
▼父は妥協せず「一合目も標高一〇〇〇bだ。本当に登ったと言うなら駿河湾から登らなきゃダメ」と詰める。夫婦は初秋の頃、田子の浦の海辺に足をつけている写メールを添え、足による全コース制覇を報告する。父は初めて2人を褒めた(逸話は月刊「潮」本年1月号参照)
▼逸話に反応したのかどうか。富士山麓の自治体で唯一、海に面している富士市が、田子の浦港を挟む東西2カ所を起点に山頂を目指す「登山ルート3776」を今月10日に開設するという。

 2015年  7月  2日 ― 未来志向で日韓関係再建を ―
 日本と韓国を国交正常化に導いた基本条約が1965年に署名されてから50年を迎えた。節目の年に当たっているのに、両国の関係は歴史問題の摩擦などから冷え込んで、安倍首相と朴大統領の2国間会談は一度も実現していない。こうした政治的にきしんだ関係は打開して、未来を見据えた長期的な友好関係を築いていく必要がある。
▼朝鮮半島は現在、南と北の二つに分断されているが、日本と朝鮮半島とのつながりは長い歴史の経過があり、今日でも人的・物的な交流、さらにはスポーツ面などでの交流が盛んになっている。地図の上で大陸から見下ろすと日本海に阻まれているのが見えず、日本列島と陸続きのようになっている。顔立ちや目の色などが日本人と同じでありながら言葉が違う。気質はどうだろうか。いつまで南北の分断が続くのだろうか。
▼日韓国交正常化50周年記念式典が6月22日、東京とソウルの双方で開催された。日本側には安倍首相、ソウルには朴大統領が出席された。もしかしたら年内にも双方の首脳会談が実現するのではなかろうか。
▼21日には韓国の外相が来日して日韓外相会談に臨まれたが、日本からも外相らが隣国の韓国を訪問してパイプを太くすべきだ。まずは対話を継続させていくことではないか。一衣帯水の意味をよく考えて。

 2015年  7月  1日 ― きょううるう秒加わる ―
 高浜虚子は「七月の蝌蚪(かと)が居りけり山の池」と詠む。カトはオタマジャクシのことだ
▼ここでいう七月は陰暦で新暦では8月中旬になろう。盛夏だとしたらカエルの子を池で見付けた虚子先生も驚いたことだろう。ただカトが変態に要する期間は種によって長短があるというから、あり得る風景かもしれない
▼ところで霊長類の先端をいく人間は、生活の中で日進月歩の科学のあらゆる成果を享受している。日常生活の組み立てに必須の時計にしても、より正確な時刻表示の恩恵を受けている。従来、世界共通の標準時刻は地球の自転公転などから算出された天文時を基準にしてきた
▼さらに研究者らは原子や分子が持つ高精度周波数に着目。周波数は時間の逆数だから時間を高精度で測定でき、原子時が誕生する。従来の天文時は地球の自転にぶれがあることから時刻に誤差が出る難点があった
▼そこで国際機関は1958年から一定期間ごとに原子時基準算出の「うるう秒」を加えることを決めた。既報の通り日本もきょう午前8時59分59秒と9時の間に午前8時59分60秒を入れ、1秒長くし高精度時刻を維持している
▼一方、恩恵とは別世界のように多数の死者を出したインドなどの熱波被害はじめ国内の自然災害も続発している。この夏、備えに万全を期そう。
 

2015年 6月の天窓へ